著者: David Weinberger
日本語訳: yomoyomo
以下の文章は、David Weinberger による What is Google+ for? の日本語訳である。
Edward Vielmetti が Google Plus について、「Google+ は何のためのもの?」と問いかけた。私は Peter Kaminski の反応が特に洞察力があると思った。(Pete の許可を得て全文を引用する)
Google+ の目的は、あなたを(みんなのウェブの外側、あるいは他の誰かのウェブの中に対立するものとして)Google ウェブの内に留めることだ。ここで「ウェブ」とは、かつては HTTP 経由で手に入るリンクを張られたドキュメントやファイルの集合を指していたが、デジタルライフそのものを意味するまでに成長している。
Google のビジネスは、できるだけあなたのデジタルライフの多くに介在することを目指している――これはかつてマイクロソフトのビジネスが、できるだけあなたのデジタルオフィスの多くに介在することを目指していたやり方に似ている(デジタルライフとデジタルオフィスがほとんど等価だった昔々の話だ)。その収益化モデルは、当然ながらまったく異なる。けれども、Google が介在できるデジタルライフが大きければ大きいほど、より多く収益化可能になり、デジタルライフ全体がよりべたべたしたものになる。Google は、かつてのマイクロソフトと同じくらい遍在したいと思っている。
(Google とマイクロソフトは、そのビジネス運営を通して世界をより良い場所にするという利他的な目標を有してもきたが、もちろんそれは利他的な目標に達するにはビジネスで成功しなければならないということだ)
Google は、デジタルライフがいかに深く日常生活に手を伸ばしているかを十分に理解してきた。自分が物理的にどこにいてどこに行こうとしているか調べたい? それなら Google (Maps) がある。何百万もの動画チャンネルを見たい? それなら Google (YouTube) がある。友達、家族、仕事仲間と電話で話したい? それなら Google (Android, Voice) がある。などなど。
Google も「友達との交流」が普通の人たちの日常生活の大きな部分を占めることに気付くのにしばらく時間がかかったし、それからそれ用の Google の作り方を把握するのにまたしばらくかかった。しかし、Google+ で彼らはうまくやったように見える。
おまけでこのゲームにおける他のプレイヤーも見てみよう:
Apple:デジタルライフという概念を理解しているが、デジタルライフは日常生活でなくデジタル資産(文書、アプリ、メディア)を中心に築かれるという長期的視点がネックになっている。
Facebook:デジタルライフへの介在においてとても有利なスタートを切っている。というのも Facebook は社交の上に成り立っていて、社交は普通の人たちの日常生活の大きな部分を占めるからだ。それに他の部分があることに気付いているかは分からないが。
マイクロソフト:長い間大部分の人たちのデジタルライフに介在した。その一部の人たちは、デジタルライフがデジタルオフィス以上のものであることを理解している。しかし、彼らはその新しいゲームで成功する前に昔ながらの稼ぎ頭から金を搾り取ることで(イノベーションのジレンマ)死ぬかもしれない。
Yahoo:偶然にも、無意識のうちに、初期のデジタルライフを理解していた。自覚的に気付いてそれを認識できず、競争をふいにした。
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