Wikipediaにおけるコード、並びにその他の法

著者: Aaron Swartz

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Aaron Swartz による Code, and Other Laws of Wikipedia の日本語訳である。


Lawrence Lessig がかつて言った有名な言葉に、コードは法であるというのがあり、時が経ってもその理念の力は何ら失われていない。その言葉の要点は、彼の本『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』で非常に雄弁に主張されていたが、ソフトウェアにより作られた世界では、そのソフトウェアの設計が、成文法とまったく同じくらい、実際には成文法よりも強力に行動を規制するというものだ。

その主張が疑う余地のない環境も一部にある。Second Life のオンライン三次元世界では、もしあなたが特定の単語を入力するのをソフトウェアが禁じれば、合衆国の法律が我々の世界で可能なよりもずっと効果的に Second Life の世界の言論を規制することになる。しかし、問題はそんな単純なものではない。コードは、我々の Wiki ソフトウェアが作り出している盛況なコミュニティと文化をなす Wikipedia の世界にも同等の力を発揮するのだ。

一例を挙げると、誰がコミュニティに参加するかはソフトウェアで決まる。もし Wiki ソフトウェアの利用が単純明快なら、その場合多くの人が利用できる。しかし、それが複雑だと、使い方を習得する時間のある人たちでないと参加できない。そして我々がこれまで見てきたように、多くの知的な人たちでさえ Wikipedia の編集方法を理解していないとなると、ましてやサイト上でそれ以外のことなどできないことになる。

もう一つ例を挙げると、コミュニティの運営方法もソフトウェアで決まる。管理者制限などの機能は、一部のユーザにそれ以外のユーザ以上の権限を与えることになる。安定版といったものをサポートすれば、どんな種類のものが公開されるか決まる。会話ページの構造が、何をどのように議論するか規定するのに一役買うのだ。

サイトが採用するページデザインは、一部のリンクを分かりやすく目立たせることで特定の動作を促す。カテゴリ分けなどのソフトウェアの機能により、特定の処理が可能になる。infobox やリンクなどに利用される整形規則により、初心者がサイトでそれらを編集するのが簡単かどうかが決まる。

以上のことはすべて政治的な選択であり、技術的な選択ではない。知性のあるプログラマならば一目瞭然というような正答が存在するわけではないのだ。しかもこうした選択は、コミュニティに甚大な影響を与えうる。それこそが、コミュニティがこれらの決定に携わることが必要不可欠な理由である。

現在の Wikipedia のプログラマチームは、標準的なフリーソフトウェアのコミュニティと同じように作業を行い、メーリングリストや IRC チャネル上で議論するボランティアの集団である(もっとも彼らのうちの二三人は、最近 Wikimedia 財団により雇用されたので、少しは楽に生活できるようになった)。彼らは、Wikimania が行われるより前に、Wiki ソフトウェアにおいて当時ホットだったトピックを議論するために寄り集まった人たちである。

Wikipedia のページに写真を追加するのが利用者にとっていかに難しいかについての研究を発表したユーザビリティの専門家による発表があった。その発表の後の議論は、Wikipedia が使いやすいべきかどうかを巡る論争に変わった。混乱したユーザは間違った形で文章を追加するに違いないが、もっと経験を積んだユーザがやってきて、そうした文章をきれいにしてくれるだろうと示唆する人もいた。そもそも混乱したユーザにサイトの編集を許可すべきかどうかを問う人もいた――彼らの貢献に価値などあるのだろうか? というわけだ。

プログラマとしては、僕はメンバーに多大な敬意を払っている。しかし失礼ながら、これらは本当にプログラマが決定すべきことなのだろうか?

ところで、Jimbo Wales は Wikia という営利企業も所有しており、Wikia は最近ベンチャーキャピタルから400万ドルの投資を受けた。Wikimania での基調講演も含め、Wales は資金の使途の一つとして、プログラムを雇い Wikipedia のソフトウェアを改良したいと語っている。

もしソフトウェアを中立的なものと考えるなら、これは思慮深い姿勢に見える――結局のところ、改良は改良なのだ――が、技術的な選択が政治的な影響を持つと、問題の解決はかなり難しくなる。経営者やベンチャーキャピタリストが、これらの問題の一部を支配下に置くべきなのだろうか?

Wikipedia コミュニティはすこぶる活気があるので、Wikipedia は多くのソフトウェアの変更を乗り切るに違いないと僕は確信している。しかし、単に乗り切る以上のことを願い、Wikipedia を可能な限りベストなものにすることに関心があるのなら、我々はポリシー変更について考えるのと同じくらいソフトウェア設計について考え始める必要があるのだ。


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初出公開: 2006年09月25日、 最終更新日: 2007年09月02日
著者: Aaron Swartz
日本語訳: yomoyomo(ymgrtq at yamdas dot org)