YAMDAS対談 第3回

僕は臓器を提供しません


 yomoyomo(技術者の端くれ、以下)と海坊主(医者の卵、以下)の与太話。1999年3月7日電話にて。


:やっぱ鹿児島で行われた生体間臓器移植の話しかないだろ。

:よし、今回は真面目に行こうか。意見の相違が出るだろうけどな。まず医学生としての君の感想を聞かしてくれよ。

:うーん・・・お前の意見を先に聞かせて。

:僕は、今回の移植が話題になる前から考えははっきりしててね。僕は臓器を提供しません、ということ。

:それはお前がドナー、提供者になった場合でしょ?

:そう、これは非常に身勝手な意見でね。自分がもし提供される側になれば、勿論早く誰か臓器提供してくれ、となるかもしれんのだから。

:うーん、それは俺と似てるね。実は俺もそうなんだよ。提供したくないんだな。でも、自分が患者の側になったら生きたいだろうね。

:弱者になってみないと本当のところは分かんないだろう。

:僕が思うに、臓器移植の問題は、脳死が人の死かどうかというのを棚上げにしてるところなんだよ。

:そこで思うのがね、どこから死なんだ、死んだらどうなってもいいのか、ということ。人間はある時点で人間でなくなるのか、ということが気になるんだよ。

:でもな、自分が脳死の状態に置かれたとしよう。脳死状態でずっと生き続けるのが嫌だ、もしくは脳死は人の死だ、という認識があったとしても臓器は提供したくないか?

:うん、したくない。

:俺が矛盾を感じて一番問題だと思うのは、例え脳死を人の死だとその人が考えていてもだよ、臓器提供をしない限りその人は脳死状態のまま生きなければならないんだよ。死を選べないんだよ。

:君はそちらに重点を置くわけね。俺が問題だと思うのはね、臓器移植は間違いなく医学の進歩なんだろう。もう一方で脳死状態のまま人を生き長らえさせる。これも医学の進歩なんだ。それなら何で片方の進歩にためにもう片方の進歩が犠牲になるのか、進歩に優劣があるのか、ということだよ。あるならあるでいいんだ。でもな、そこらへんを医師がちゃんと考えて結論を出しているとは俺は思わない。

:それが俺の言う脳死が人の死かどうかを棚上げにしてるということだ。

:片方の患者のため、もう片方の命が犠牲になる。その優劣があるのか。片方が無理矢理生きてて見苦しいから、なんてのは理由になるとは思えない。

:俺の考えだとね、脳の死は人の死なんだよ。でもな、それだから臓器を移植して、とは結びつかないんだ。俺にはイヤなんだ。提供者の立場になったとしても嫌・・・なんだよ。

:うん、脳死患者が二人いて、片方は臓器移植の提供者になり、もう片方は脳死のまま。この場合二人の間の差異は何なのか。脳死患者の間に、臓器提供ということにより生命の差が生じるんだよ。

:まあ、大抵の脳死患者は臓器移植の提供者に成りうるんだけど。俺としてはね、あのドナーカードに、脳死になったときに死を選ぶかどうか、ということも入れてほしいんだよ。ドナーカードを見ると臓器提供云々に集中するんだけど、その前提にある脳死が抜けてんだよ。

:そう、そこが抜けてるとさ、極端な話脳死患者ではなくても、死刑囚からでも臓器を取ってしまえ、という話になりうるんだよ。果たしてその間にはどういう差異があるのか。どっちにしても殺されるとして、どう違うのかちゃんと分かってないといけない。

:今の脳死判定だけど、正規の手続き通りにやれば限りなく完全に近いんだよ。まあ、絶対に(誤認が)ない、とは言えないけど。俺の知る限り、二三例あったような気がする、脳死からの生還というのが。

:それは仕方ない。絶対、というのはないんだから。でもさ、これから何かしら新しい要素が判定に加わることはないのかね?

:うーん、ない・・・と思っていいよ。現在はかなり厳密な基準になってる。

:今回ドナーカードが注目されたけどさ、僕はあれをちゃんと持とうと思うよ。「臓器を提供しない」という選択肢があるからね。

:でもやはりそれでは脳死になったときに死を選べずに生き続けなければならない、という問題を解決しないんだよ。

:でもな、もっと変な方向に医学に進むかもしれない。例えばね、脳死患者から臓器を摘出しても脳死患者を生き長らえさせる技術とかね。普通の人間で、胃を全部摘出することもあるんだから。でもそれは医学なのか、と思うわけ。

:医師としては、臓器移植というのは魅力的な分野だね。でもさ、面白かったのが臓器摘出のオペ室の映像がテレビで流れたけどね、最もオソマツなオペ室ってのがあんな感じなんだよ。

:へーっ、そうかお前には分かるわけだ。そこで日本初の・・・ってのが面白いね。

:何か笑ってしまったよ。

:テレビでニュース速報でさ、今から一回目の判定を行ってます、とか言ってるわけよ。その判定でね、後少しで基準を満たさなかったとしよう。そこで医者は思わんのかね。どうして、こいつは脳死じゃないんだ、って。あと一項目満たせば、尊い命が救えるのに鬱陶しい。早く死ねばいいのに、って。

:・・・思うでしょうね。だからね、そうした判定をちゃんと行ってるか確認する必要があるんだよ。情報公開だね。今の制度では医師達だけでなく確か第三者の目も入るでしょ? あれはすごくいいことだよ。でもな・・・やはり現在のドナーカードでは俺の選択肢がないんだよ。

:もし自由に書き込んでいい、となったらどう書く?

:脳死になったら、延命せず死にたい。けど臓器摘出はしてほしくない、かな。

:僕の場合は「臓器提供はしない」というので自分を守りたい。一個人としてはどうしても、信用できないんだよ。勝手に脳死判定されて臓器摘出されてしまうのではないかという・・・僕は医者を信用できないんだよ。それとさ、マスコミの報道はよく分かんなかったね。

:情報公開、情報公開って何を公開したいのか分かってなかったんじゃない? 今回の場合、病院が提供者の家族の意志を守ったじゃない。

:ん、どういうこと?

:マスコミに対する対応。患者の家族の意志に従って、提供者の葬儀が終わるまでは情報を公開しない、と言ったじゃない。医者の役割は何より患者(とその家族)を守ることなんだよ。

:そうなんだよね。お互いが問題に思ってることは大体言い尽くしたね。他に気になったことはある?

:今回胃がどこで心臓がどこ、という風にいろんなところに臓器が行ったじゃない。その行き先の大学の選定に学閥とか力関係が働いてるんじゃないかな、ということは気になるね。良く分からないけど。


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初出公開: 1999年03月09日、 最終更新日: 1999年10月16日
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