Lepton さんのサイトの「近況と更新履歴」に当方の名前が登場する。以下、その2004年12月6日分から引用。
しかし、頑なに昔のスタイルを守っている私は、別に何らかのポリシーがあるわけじゃなくて、ただ単に変えるのが面倒くさいだけだったりします。でも本編はともかく、この更新履歴だけはblogのサービスを使ってもいいのかなあ、と思ったりもしています、yomoyomoさんとこみたいに。
Leptonさんが書く「昔のスタイル」とは、サイト本体(闘わないプログラマ)の更新を行うたびにその更新履歴(とサイト作者の近況)を書くというのを指しているのだと思う。この「更新履歴」にあたる部分がだんだんとテキストサイトに発展していったという話が、ばるぼらさんによるかの「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ」に紹介されていた記憶があったので調べてみた。
現在 Internet Archive に残っているものには入ってないようなので、ローカルに保存しているファイルから引用させてもらう。Beltorchicca に掲載された文章のようだ。
かつての文化系個人サイトは日記を名乗ってなければたいてい雑誌のようなつくりになっていて、 じょじょに各コーナーのコンテンツを増やしていくという運営のされ方をしていました。 閲覧者は、どのコーナーが更新されているかを知らせる更新記録(What's new) をまず最初に見て各コーナーに飛ぶわけです。 その更新記録に、じょじょに本の感想や日々の思いつき、 ちょっとしたできごとなどを書き留めるような文章が付け加えられていき、 単にそれだけの更新も増え、 現在の「テキスト系サイト」と言われるようなコラムとも日記ともつかない文章のスタイルが生まれていったのでした。
来年にはそのばるぼらさんによる『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』が刊行されるわけだが、先日担当編集者のモーリさんに伺ったところ、ばるぼらさんは驚くほど丹念なリサーチをもとに執筆されているようで、とても楽しみである。
さて、ワタシのサイトは上に引用した文に書かれる旧来の更新記録(What's new)スタイルを維持する時代遅れなものであり、ワタシは自分のサイトの更新履歴を勝手に「ネアンデルタール・ウェブログ」と呼んでいる。
今や blog 全盛である(少なくともそういうことになっている)。実際 blog ツールは個人向けの CMS の役割を軽々こなし、カテゴリ分類などの機能も強力である。うちのような昔ながらのトップページがあり、各コーナーのページがあり、というスタイルを採る必要はない、と頭では分かっているのだが、どういうわけかワタシは、サイト全体を blog ツールに置き換えようという気になれなかった。もちろん Lepton さんと同じく「変えるのが面倒くさい」もひじょーに大きいのも間違いない。めんどくさい will be my epitaph.
実を言うと、少し前のはてな住所登録騒動のとき、それがどのように転ぼうがはてなダイアリーを引き払おうと考えていた。せっかく独自ドメインをとったのだから、コンテンツを yamdas.org に集約させたいという気持ちが前々からあったし、ちょうど良い機会に思えた。以前のようにサーバ容量を気に病む必要はないのだし。
またそれにもう一つ大きな理由があった。ワタシは以前のように長尺の文章を書けなくなりつつあるというのがあった。これには時間的な問題があるし、そのあたりも含めた当方の筆力の問題、体力的な問題といえると思う。
blog が普及するにつれ、全体的にウェブサイトの更新頻度があがったように思う。それはウェブコンテンツの書き方、読み方にも確実に影響を与えている。この手の話は他に書いている人も多いから既に出ている議論を繰り返すつもりはないが、最近読んだ文章では、香雪ジャーナルの「はてなダイアリーは「blog」(ブログ)なのか」ににじみ出るもどかしい感じに自分と近い感覚を受けると書いておく。本題のはてなダイアリーはブログなのかという点については……個人的にはどうでもいいです、ハイ。
当方が自分のサイトの更新履歴をはてなダイアリーに移した経緯については、その当時に書いているが、(そのときは否定しているが)前述のスピード化に対応しようという意図もどこかあったのだろう。そして、大体週一のペースでそれなりの長さの文章を一本書く、というスタイルがいずれ取れなくなるという予感もあったのかもしれない。
現在では、YAMDAS現更新履歴は、本サイトの更新時はもちろん、それ以外でもちょっと書きたい小さめのネタが揃ったときは適宜更新するようにしている。それをさらに突き詰めてサイトを再構築すればよいのではないかと思ったのだ。もう名称もYAMDAS現更新履歴から例えば「YAMDAS Weblog」とでも変えて、現在 LOVELOG 上においている読書記録も統合し、普段はこっちのみ断続的に更新し、長尺の文章や翻訳があるときに静的 HTML を追加するようにしようと考えたわけである。
はてなダイアリーからの移管となると、ツールとしては tDiary がもっとも形式的に近いのは言うまでもないが、せっかくの機会だからと他の blog ツールも含め、いくつか試したりしていた。以前書いた文章は、そのあたりの試行錯誤の経過も踏まえているのは言うまでもない。こういうのは、あーしようかこーしようかと頭を巡らし、試しているときが一番楽しい。
しかし、先日お伝えした通り、これから取り掛かれると思っていた大きな仕事がなくなってしまった。これは本当に椅子に座ったまま腰が抜けそうになる体験で、11月18日にそれが判明して以来、茫然自失と書くと大げさだが、何かすっかりやる気をなくしてしまった状態である。
はじめはその作業に大幅に時間を割かれることがないのだから作業にじっくり取り組めるかと思いきや、どうにもやる気が出ないところにはてなの住所登録問題が大体納得いく形で落ち着きそうな見込みとなり、正直もうどうでもよくなった(笑)
なんといい加減なと言われそうだが、そういう奴がいい加減にやってきたからこそムダに五年以上続いたサイトなのだと思う。同時に、自分の中でのウェブサイトへのこだわり、整合性への意識が病的に強く、変化に対して腰が重い。
ただ何かが契機になって、またやる気を起こすかもしれないし、そのあたりは成り行きにまかせたい。その場合は、はてなダイアリーに書いたものは無理に移行せず、そのまま残す形になるだろう。ただいずれにしても読書記録は yamdas.org 内に持ってくることになると思う(それを見越して書くべき本がいくつもあるのに読書記録を書いていない)。
つまりは、相変わらずうちのサイトは、サイトを閉鎖するまでだらだらと続くのではないかというただそれだけである。更新に関しては、基本的にはてなダイアリーの方をアンテナなり RSS リーダーでチェックいただければすべて網羅できるし、そうでなくサイト本体の更新のみでよい方は、本サイトのトップページをアンテナに入れていただければと存じます。
さて、冒頭の Lepton さんの文章に戻ると、実は一つ懸念がある。当方の場合は、上に書いたようにフットワークを軽くして短文を書く場にしたかったので、更新履歴の肥大化も予想の範疇だったが、Lepton さんが更新履歴を blog ツール・サービスに移行した後に、そっちが楽だったり、面白かったりして、ついついそっちを更新してしまい、どっちが主体が分からなくなるのではないかという恐れである。Lepton さんのように確固とした更新ペースを守っている方にそんな心配は余計なお世話に違いないのだが、一方でそのようにずるずると本来の意図と異なるほうに引きずられる Lepton さんも見てみたい気がする(意地が悪いですな)。
しかし、さらに書けば、「闘わないプログラマ」自体をブログツール上に移行というのもアリなように思えてくる。まったく余計なお世話ながら、そのあたり悔いのない選択をされることをお勧めします。ワタシのように後になって本文のようなよく分からん文章を書かなくても済むように(笑)