It's high time for a walk on the real side
Let's admit the bastards beat us
I move to dissolve the corporation
In a pool of margaritas
Steely Dan, "Everything Must Go"
10年以上前からウェブサイトを止めるときに発表しようと考えていたタイトルの文章を実際に今こうして書いているという事実に不思議な心持ちになるのを禁じえない。
実際には何もかも止めてしまうわけではないのだが、大枠の事情は対談の最終回(前編、後編)で話しているものの、一応最後のステートメントということで、対談で話した内容と重複するが、今後の身の振り方などについて書いておきたい。
YAMDAS Project 本体、並びにはてなダイアリーのYAMDAS現更新履歴の更新は、本日をもって無期限停止とさせてもらう。WirelessWire News 連載は先月一区切りをつけており、今後は執筆や翻訳など新規の仕事依頼は、基本的には請けないものとする。
ただウェブサイトやブログ自体を消去するつもりは現状なく、そのまま残し続けるつもりである。はてなダイアリーについては、少し前からコメント欄を凍結させてもらっている。
基本的にはジョエル・スポルスキーの Joel on Software の扱いをイメージしていただければよいだろう。彼は2010年に、10年続けたブログの引退を宣言したが、その後も自身の会社が新しいプロダクトをローンチするときなど、稀に更新している。ワタシも連載の電子書籍化など、何かイベントがあればウェブサイト、ブログ上で告知を行うつもりである。もっともワタシはジョエルのようなスターではないし、会社も持たないので、アナウンスの機会などそうそうはないだろうが。
Twitter などの SNS アカウントはこれまで通り、適当に使わせてもらう。対談でも語った通り、さすがにこれまで止めてしまうとなると、パニックになるのではと恐れるからだ。
ただウェブサイトにしろ、SNS にしろ、何か自分にとって不都合な問題が生じた場合は予告なく削除する可能性はある。が、それはこれまでだってそうだったわけで、方針に特に変わりはない。
ウェブでの活動に一区切りをつける理由は一つではなく、その中には公にできるものもあれば、したくないものもある。できるものについては対談で話した通りである。
ただ一つ強調しておきたいのは、その理由にウェブ上の活動に起因するトラブルは含まれないことである。今年ウェブ上の活動に一区切りをつけることは、3月以降に実際お会いした方を中心に伝えてきたが(もっともその人数は全部で5人程度である)、その頃から筆禍の類を起こさないよう特に気をつけてきた。今回の決定に意図せずネガティブな影がささないようにしたい――要は、炎上やトラブルの当事者になった後に、「しっぽをまいて逃げた」みたいに見られるのはみっともないと考えたわけだ。
そうした意味で、ワタシは今穏やかな気持ちでいる。ありがたいことである。
ウェブサイト公開が1999年2月7日なので、もうすぐ18年になる。過ぎてみればあっという間……なんてことはまったくない。物心ついてからの人生の半分くらいは費やした、と書くと何かとんでもないことのように思えてきたが、よく続いたものである。
それに一区切りをつけると決めるのに逡巡がなかったといったら嘘になる。今にして思えば、その決定は一種の過剰反応にも思えるのだが、そのあたりについて説明しだすと、上記の書きたくない理由に行き当たるので、これ以上は書かない。
自分がウェブサイトを開き、文章を公開しようと思ったのは、自分にも何か普遍的な価値がある優れた文章が書けるのではないかという思い上がった、一種の妄想に突き動かされたからである。
ブログ普及期から Web 2.0 という言葉が盛り上がった頃は、「一億総表現時代」とも言われたが、実際には『ユリイカ』2005年4月号「特集*ブログ作法」における対談「激突!はてな頂上作戦」(こうやってタイトルを書いているだけで楽しいので、詳しく情報を入れさせてもらう)の時点で鈴木謙介さんが指摘していたように、「有名な人がさらに有名になる」装置であり(吉田アミさんは、それを「ブログはモテる人が更にモテるためのツールです(笑)。」と美しくパラフレーズしている)、それは以降の SNS でも基本的な構造は変わらない。
そうした意味で、IT ベンチャー企業の創業者とか、大学で社会学を教えているとか、人気のフリーソフトウェアの作者であるスーパーハカーとか、元から有名人であるといったバックボーンが何もなく、またそうした人たちとも何のコネクションもないところからの、徒手空拳という言葉がぴったりのスタートからしたら、よくここまで来たものだと見ることもできるかもしれない。
しかし、近年は自分のような存在が何かインパクトのある仕事をする余地は残っていないのではないかという疑念を拭いきれなかった。そうでなくても、自分が時流に完全に合わなくなってきたのははっきりしていた。
それで思い出すのは、昨年引退した将棋の内藤國雄九段である。彼は引退の理由について、肉体的な衰えにより長時間の対局が厳しくなったことに加え、「コンピューター全盛の現代将棋と私の棋風が合わなくなった」と語っている。
正直に書くと、その報道を見たときは、身体がつらくなった(し、何より勝てなくなった)だけでよいのに余計なことを言うものだと冷ややかに見ていたところがある。
しかし、AI(人工知能)がもてはやされる昨今、ワタシ自身も内藤九段みたいなことを言いたくなるのである。例えば、最近の Google 翻訳の性能向上の背景にディープラーニングがあるのはご存知の通りだが、ワタシが週末ばたばた訳し、この文章面白くない? と公開するような行為の価値も、それを喜んだりありがたく思ってくれる層の人たちもはなから Google 翻訳を使うだけで事足りるようになれば、ずっと低くなるに決まっているのだから。
何しろ18年、本業での長期出張時をのぞけば、二週間以上途切れることが(記憶する限り)一度もなく更新を続けてきたわけで、それがなくなるとなるといったい自分はどうなってしまうのだろうと今も途方に暮れそうになるところがある。
Twitter などのアカウントを残しておくというのは、自分にとっての言い訳の側面もある。ブログを書かなくなり、Twitter だけの更新になったブロガーなどいくらでもおり、自分もその一人になるだけかもとも思うが、そうならない予感もあったりする。結局は、Twitter における情報の I/O は、内的なテンションを保ちながら質の高い文章を書くという自身の執着に奉仕することが一義だったわけで、それを捨てたとなれば、Twitter などに面白いことを書きたいという意欲も失せるだろうし、そうでなくても Twitter が息苦しく厄介な場所になりつつあるのもプラスに作用するとは思えない。
自分がサイト更新に費やしてきた時間を回さなければならないこと、その時間を使って新たにやってみたいことはいくつもある。そうした意味で手持ち無沙汰になることはないはずだ。
今年で活動の一区切りをつけることを伝えた人の何人かは、今年ワタシの身に起こったことを話すと絶句し、そして「一息ついて、また気分が向いたら再開すれば」と言ってくれた。ワタシ自身正直それを考えないわけではないが、一方で、しばらくウェブで姿を見なかった後、ブランクを経て戻ってきた人というのもこれまで何人も見てきたが、どこかズレていて文章に以前の面白さを感じられない場合が大半で、難しいものだと思う(受け手である我々の志向が時代とともに変わった場合もあろう)。
今回こうしてはっきり文章を書いて一区切りをつけるのは、例えば、来年になって少し経ち、やはりブログ書きたいやと思ったとしても、お前あれだけちゃんと明言したのにそれは恥ずかしいだろうよ、と自分にあらかじめ箍をかけるためというのもある。
ただ自分の今の生活に大きな変化があれば、ここまでの話の前提が変わる。これは考えたくはないが、今の職を失い、すぐに収入が必要となれば、つべこべ言わず毎日ブログを書き、WirelessWire にまた連載させてくださいと頭を下げるだろう。一方で、今回の決定の要因の一つが制度的に解決することも少しは期待しているのだが、それに関しては予断を許さない。
なお、ワタシは現在サブアカや裏アカウントの類はまったく所有しておらず、それはこれからも変わりはない。これはワタシが致命的に不器用(ぶきっちょ)で、そんなのを使い分けようとしても下手打つに決まっているという確信があるからだが、その方針は今後も変わらない。yomoyomo とはまったく違った名前でこっそりブログを始めるといったことはない。何か新しいことをウェブでやる場合も、現在のハンドルと紐付けができる形でやりたいと思う。
実生活で関わりがある中で、ワタシが yomoyomo であることを知る人間は、実はかなり少数だったりするが、昔からワタシを知る人間に聞くと、基本的に「ウェブの文章は実際よりもずっとまとも」という評になる。実際そうなのだろう。非常に気難しく神経質というのは自他ともに認めるところであり、一言で言えばとてもめんどくさい奴である。
そういう人間がおよそ18年間折れることなくウェブサイトを続けられたのは、上に書いた自身の執着の他にもいくつか要因があるだろう。
ワタシがずっと地方暮らしだったというのは、この点において間違いなくプラスに作用したと思う。特に福岡くらい中央から離れたところに住んでいれば、年二回程度の上京時にそれ自体を理由に宴席を設けられる。途中からワタシも面倒で「yomoyomo飲み会」と呼んでいたが、初回の2003年2月から最終回の2015年5月まで、結構な回数になったはずだ。
そうした最低限の社交で、人見知りのワタシ的にもあまり無理がない形で知り合いを増やせたし、一方で中央のコミュニティから距離を置くことで、顔を合わせたくない人のいる場に出ずに済み、人間関係のトラブルを回避できたところは多分にある。原稿や翻訳の依頼を受けたついでに一度お会いして打ち合わせしたいと打診されることは何度もあったが、地理的な距離を理由に断ることができるのも都合が良い。
あと、ウェブサイト開設以降の社交により知り合った異性と肉体関係を持ったりして、その挙句の男女関係のトラブルといったものと無縁だった(強いて挙げれば、津田大介さんと二度キスをしたことがあるくらいで)ことも地味に大きい。これなど非モテの効用というべきだが、誰を誉めるにしろ、誰を貶すにしろ、そうした後ろ暗さや情実を気にする必要がないというのはよいものだ。
話がヘンな方向にいったが、ワタシがこれまでなんとかやってこれたのは、言うまでもなくワタシの仕事を面白がってくれる読者がいたからである。雑文書きや翻訳者としてのワタシのキャリアをフックアップしてくれた方々には感謝しかないし、その中でも最大の存在であり、しかも昨年末から今年にかけて原稿依頼を受けながら、それに応えることができなかった江坂健さんと仲俣暁生さんのお二人には、特にお詫びを申し上げる。
上で人間的なトラブルの(回避の)話を書いたが、ワタシのようなめんどくさい人間によくしてくれた方々にはこの場を借りてお礼を言いたいし、その過程でワタシの不徳のため不愉快な思いをされた方には心からお詫びする。
そろそろ終わりにしたほうがよさそうである。ちょうどテレビではスマスマの最終回をやっているが、その裏でひっそりと終わることになる今のワタシに一番しっくりくるのは、映画『ガタカ』における主人公の最後のモノローグだったりする。決して悪い気分ではない。今のワタシは幸せと言ってもいいかもしれないからだ。
For someone who was never meant for this world,
I must confess I'm suddenly having a hard time leaving it.
Of course, they say every atom in our bodies was once part of a star.
Maybe I'm not leaving... maybe I'm going home.