遠藤周作文学館にて
ベンジャミン(以下ベ)と yomoyomo(以下Y)の与太話。2004年7月4日、遠藤周作文学館にて。
Y:ここに来るまではすごい雨だったけど、今は薄日も差して。よかったね
ベ:土砂降りやったもんな。前が見えんかったもん。まあ、今日は君が狐狸庵で、僕が北杜夫ですな
Y:はぁ?(笑) どうですか、久しぶりに見てまわって
ベ:君はどういうのを見るの? 遠藤周作記念館で
Y:まぁ、僕は遠藤周作自体のファンだったから、全般的に楽しめるのだけど。前回来たときと微妙に展示内容が変わっていたかも
ベ:俺は、彼の小説は九割九分読んだことがなくて……『深い河』と『沈黙』を少し、あとはエッセイを読んだぐらい。でもね、この場所好きなんだなやっぱり。三回来て三回とも雨なんだけど
Y:まあ、こんな辺鄙なところに記念館があるのは、『沈黙』のおかげなんだけど。その舞台となったこの外海町は、ワタシの父方の先祖が住んでいて――
ベ:君はクリスチャンだね
Y:ただね、自分のことをクリスチャンと称するのは止めようと思う。驚かれるから、サービス精神のつもりで言っちゃったりするんだけど……ネットで信仰について書く人は、大概敬虔な信者なんだが、俺はそれと違いすぎる。何よりお前はキリスト教徒として神を信じているのかと問われた場合……………自分のことをそう言うのは間違っているでしょうね
ベ:うちの実家があるところは隠れキリシタンの里なんだな。山あいだし。今でも日曜になると、朝からぞろぞろミサに行ってるよ
Y:僕の先祖は代々ここに住んでいたんだけど、水呑百姓だったんだろうね……つまりは(江戸時代に)踏絵を踏んだ隠れキリシタンの末裔というわけ。間違っても武家なんてことはなかろう
ベ:そこがうちと違うわけだな。うち武士だから
Y:あん? そう言いたがる奴が多いんだよな
ベ:うちは五島では由緒ある家やぞ
Y:あぁん? 何言ってんだよ、お前は
ベ:ホントだって。ただの武士
Y:なんだよ、ただの武士って。お前、「由緒ある」って言ったじゃん
ベ:足軽でも武士は武士(笑)
Y:(笑)話を戻すと、俺は一歳のときに洗礼を受けているんだね。当然そのときの記憶はないんだけど。君の実家は代々あそこなの?
ベ:いや、団地ができてうちが入ったんで。元々あそこには二つか三つの苗字のカトリック一族がやたらに多くて、配達をやると死ぬよ。同じ苗字で十軒くらい並んでんだから
Y:下の名前じゃ区別できんしな
ベ:(爆心地の)浦上から逃げてきた人たちが多くて。俺が行った幼稚園もその流れでできたカトリック系だったし
Y:それで思い出したんだけど、あなたに読んでおいてと URL を送ったのがあったでしょ[註1]。あれはどういう話かというと、例の佐世保の事件の流れで、加害者の名前が非常に特殊で、キリスト教特有の言葉が使われているという報道があって……正直言って、俺にはそれが何かさっぱり見当もつかんというか、単にその報道がデタラメだと思うんだが、その流れで長崎におけるクリスチャン差別、そして長崎は広島に比べて反戦教育が強くないという話があってね
ベ:ふーん(ドロ神父パスタを食べている)
Y:正直、僕はそうした差別の話をまったく知らなかったんだな。ただ(爆心地の)浦上については、坂口安吾の「長崎チャンポン」[註2]を読んだときに、とても後ろ暗い雰囲気があって、ああ、そういうことなのかなと思った覚えはある。これは別の人が書いていたんだけど、浦上と長崎市の中心(諏訪文化圏)の対立というのは、キリスト教と神道の対立というよりは、リベラル対保守の対立に近いというのもあってね。ただ僕はどっちにしても意識したことがなかった。鈍感というか
ベ:俺の場合、中学までは浦上文化圏で育って、高校からこっちの文化圏に来たわけだけど、確かに全然違うよ
Y:そういうものかね。僕はずっと諏訪神社文化圏で育ったんだけど
ベ:高校に入って、「うゎー、原爆の落ちたとこやっか」と浦上文化圏では言われたことのない言葉を同級生の何人かからかけられた覚えはある。まあ、冗談なんだろうけど
Y:まあ、ガキというのはそういうことを言うものだし
ベ:でも、高一だよ
Y:……それはちょっとなぁ
ベ:今でも邪教だとか口走る奴はいるんだけど、大半は冗談なわけでね。浦上ではカトリックや原爆の話は日常的にあって、中学なんか正にそうだったから、長崎におけるクリスチャン差別を実感したことはなかったなあ。50年前ならともかく
Y:僕の場合……伯父が戦時中三菱の工場に勤めていて、夜勤明けだったかに原爆に秒殺されたんだね。父親と祖母は外海町に住んでたんだけど、祖母は翌日かに長崎にその息子を探しに行って、被爆者となったと。で、母親の一家は当時諫早に疎開してたんだけど、こちらも原爆投下から何日かして(長崎)市内の親戚を訪ねたんだ。後からそのことの証人になってくれる人がちゃんとした人でいて、彼女も被爆者認定を受けている
ベ:そうだったの
Y:関係者は身内に何人かいるんだけど、僕自身は原爆について特に知識があったというわけじゃない。小学校三年生のときに原爆資料館に行って、その後数日間熱にうなされたくらいで
ベ:父を返せ、母を返せというあのおどろおどろしいアニメビデオは忘れられない……
Y:で、長崎は広島に比べて反戦教育が盛んではないというのに対しては、その通りかもしれないが、それに文句を言うつもりもない。広島のサヨ傾向が好きでないというのがあるし、いつまでも原爆について、一面的にがーがー言い続けるのも好きではない
ベ:長崎人気質と広島人気質の違いはあるだろう
Y:長崎人は押しが弱いというか、控えめなのかな
ベ:江戸時代は天領で栄えていたわけで、金持ち喧嘩せずという気質だね
Y:戦時中に金持ちもないと思うが
ベ:本島等(前長崎市長)は、広島の原爆ドームを世界遺産に、というのに反対してたでしょ。日本は加害者だからと言う本島等と俺は考えが少し違うんだけど。原爆で死んだ人から見れば、加害者だろうがそんなの関係ないわけで。永井博士が言っていることは、『沈黙』で司祭が聞く神の声に近いんじゃないの? 浦上燔祭説というのもあるけど――
Y:永井博士の『この子を残して』については批判もある。浦上が選ばれて燔祭に供えられたというなら、じゃあ他の戦死者は皆犬死なのかと
ベ:ただああした永井博士の言葉はさ、元々カトリックの信者が集まった場で言われたもので、どうして自分の娘は死んだのかと聞かれたら、神の思し召しと答えるしかないっしょ。それを後から揚げ足を取っても仕方がない
Y:結果的に永井博士の作品が、アメリカに利用されたというのはあるだろう。そもそも彼は今、浦上の外国人墓地に眠っているんだけど……どうして外国人墓地なんだよ。名誉白人ってか?
ベ:まあ、そのアメリカやお上に利用された云々が「名誉市民」ということで国際墓地に埋葬されたのかもしれんが……でも、坂本国際墓地地区にはいろいろあって……というか、あそこの上にうちの墓もあるぐらいで、あそこ一面墓地なんだよ
Y:さっき君は永井博士と『沈黙』を並べたけど、ヨーロッパのキリスト教に永井博士の言葉を持って行って受け入れられるかというと正直分からない。『沈黙』が、長崎の教会ですら禁書扱いされたのと、もしかすると近いのかもしれない。もちろん永井の言葉が、原爆を落とされた忌むべき場所という土地の人にとって慰めになったのはそうなんだろう
ベ:その言葉を発せられる人がいるかいないかが長崎と広島の違いじゃないかね。原爆を受け止める解釈というか。浦上天主堂の再建にしてもそうだよ。あの丘の上に天主堂の残骸がそっくりそのまま残っていたら、あそこはキリスト教の聖地になってただろう。しかし、そこに住む人たちはそれよりも浦上天主堂が再建されることを望んだんだ
Y:シンボルよりも日常の信仰の場を欲した、ということだな
ベ:でもさあ、不思議だよね。江戸時代唯一外国に門戸を開いていたのが長崎で、しかも日本で一番カトリックが盛んであった浦上地区に原爆が落とされたことってさ、歴史の必然性とか信用しないけど、偶然というか、たまたまというのが長崎であってさ……何なんだろうね
Y:出身地だから何か意味があってほしいと思うだけじゃない? いや、僕だってそうだろうけど、それ他の人にとってはまったくどうでもいいことだと思う。重要なのはその人たちにどう分かってもらうかで。長崎自体のことではなくて原爆のことね。海外の認知で言えば、広島のほうが圧倒的に上になる
ベ:受け止め方が違うから、アピールありきを長崎は前提にしていないと思う。何と言うか、原爆と言う事象と共存しているというか…。ただ最近ではアピール好きな人が長崎にも多くなってきた印象はあるけど。一万人署名とか毎年やっているし、最近のほうが平和教育が熱心になってるんじゃないかな。俺は最近の外へのアピールを重要視する平和教育には違和感があって……命の大事さを教育で是非とも、とかそういうのはね
Y:まあ、我々の世代でも平和教育は十分あったわけで。でも、それをそのまま真に受けて、というのでもないと思う。でも、教育は重要だよ
ベ:いや、俺らのときは、本当にそれでいいのか、そんな言葉で平和になるのかと考えたわけよ。個々が認識を持たないと、8月9日集まって、というのだけが平和教育じゃないんだという
Y:そこらへんは君の(良い意味での)天邪鬼さだろうね。俺はもう少し当時は素直だった
ベ:平和教育をそれこそ憲法九条と同じように疑っちゃいけない、というサヨク的な発想で平和になるんかね。世代が違う俺としては、それは声高に叫ばずともわかっているはずだろ……という感じかな。個人レベルで何ができるのかを考えて、個人の中で熟成して、この平和的人間ができあがったわけだ
Y:お前のどこが平和的人間だよ(笑)
ベ:だから最近の一万人署名だかは好きになれない。平和な場所からだけの運動には違和感がある。もともと、抽象的な目標を掲げた市民運動って性に合わんタチだしね
Y:そもそも、それ何の署名よ?
ベ:核兵器廃絶、世界平和。以前署名を集めて、国連本部のジュネーブだったかにそれを持っていったんだけど、確かその数日後に9.11の同時テロが起きたんだ
Y:ものすごい皮肉だね
ベ:その子達はすごく打ち砕かれただろうけど、その現実を前にして自分達のやっていることに疑問を抱けるか抱けないかでその後に変化が出てくるでしょ。別に疑問を感じたなら、署名活動を辞めろと言ってるわけじゃなくて、割り切れないものがある現実を認めた上でというか……
Y:一筋縄にはいかないんだよ。例えば、ハリウッド映画の核の扱いとか、ときどき唖然とするじゃない。[註3] 少しも分かってもらえていない。でも、それは国外だけの話じゃない。被爆地の人間は、それを伝えるのに半世紀以上の間、失敗し続けてきたのか? 自分達が被害者であるという認識一辺倒で声高に被害を訴えるばかりというやり方は少なくともそうだろう。ナイーブと言われようが、とにかくまっすぐな言葉で訴えなければならないときはある。しかし、自分達の正当性が無条件で受け入れられるべきという鈍感さは、僕には我慢ならない
ベ:最近の「個性を育てる教育」みたいなのもそういう無自覚さを助長しているんじゃないか
Y:個性を伸ばすというのが強迫観念になっているのかね。でもお前さっきの車の中で、読書感想文を引き合いに出して、それじゃ個性的な子どもは生まれないとか何とか言ってたじゃない
ベ:バカだな、俺が言っているのは、個性を暴走させるのとは違うの。コントロールを教えるのが教育なんだから。やりたいことだけやらせましょう、押し付けたら個性が育ちませんってな教育の結果、長崎は二人もとんでもない個性的な子どもを生み出してしまったわけだよ。学問や教育の意義は限度の発見なのだよ、きみきみ……
Y:「不良少年とキリスト」かね。個性教育の弊害は間違いなくあるだろうけど、俺はそこまで言えるとは思わない。ま、続きは後で飲みながらでも
以下、次回に続く。
[註1] この対談の前に、ベンジャミンに(某氏に mixi で教えてもらった)以下の URL を読むようお願いしていた。今回の対談は、それらの文章が下敷きになっているところが多いのにご注意いただきたい
[註2] 『人間・歴史・風土―坂口安吾エッセイ選』(講談社文芸文庫)などに収録されている
[註3] ジェームズ・キャメロンの『トゥルー・ライズ』などが念頭にあったが、この後観た『スパイダーマン2』にもそういうところがありましたね