また長崎かよ、と言われて
ベンジャミン(以下ベ)と yomoyomo(以下Y)の与太話。2004年7月4日、長崎の居酒屋にて。
Y:というわけで、ここからは対談口調になりますが……あの佐世保の事件というのは、起こってからどれぐらいになるのかな
ベ:7月1日で幼児突き落とし事件から一年目、そしてその7月1日が佐世保の事件から一月ということになる。毎月一日はジャスコデーじゃなくて――
Y:いいよ、そんなボケは。でも昨年はその事件について対談したわけで……「また長崎かよ」と言われるのは非常に不本意でした
ベ:あ、でも、俺も最初にそれ思った
Y:やっぱり? でも、長崎で世間を騒がせる刑事事件が続けて起きるなんて考えられなかったわけで
ベ:成人の犯罪件数は確か日本でも有数に低いのに[註1]
Y:本当に平和な町やで。それにでかい少年犯罪が二つも起こってしまったと。でもね、前回の駿君が殺害された事件と今回の事件はまったく異質だと思うんだけどね。君はそうでないと言うけど
ベ:いや、異質は異質なんだけど、今回の事件は、前回の事件を知っている子が起こしたわけだよ。「こういう事件は二度と起こさないように」と県総出で取り組んだ最中に起きたわけだ。それも「あと一月であれから一年になるね」と言っていた6月1日に
Y:ただね、今回の事件を聞いて、ちょっと言葉として不用意かもしれないけど、女性らしい犯罪だと思った。酒鬼薔薇とか駿君を殺した奴みたいに、殺人に変な幻想を持っていないという意味で。それに殺人を犯した後、逃げようなんて考えてないし
ベ:女性も元気になったなぁ、ということですか?[註2]
Y:違います(笑)
ベ:人を殺してみたかった、殺したくなった子が衝動的に起こしただけの事件だよ
Y:今回の女児がか? それは違うよ!
ベ:背後に回りこんでから目をふさいでのどを切るなんて、バトルロワイヤル的殺しの手口に惹かれすぎ。それに動機はさ、被害者はその子より大きい子だったでしょ。で、転校生。新しく来た子に自分のクラスでの位置を追い出されるような形になって、それに対する嫉妬というそれだけの動機でしょ
Y:でも、それと殺してみたかっただけというのは違うだろ。でも、首にナイフとは……あれすごい血が出るぞ
ベ:凄惨な現場だったろうね。だから現場を見ちゃった担任の先生はショックで学校休んでるでしょ? でも何だろうね、学校と警察のバカさ加減は
Y:というと?
ベ:同級生の子ども達を夜の六時か七時まで学校に閉じ込めて、挙句の果てには指紋までとって調書とって
Y:何でそんなことするの? だって犯人その子だって分かってるのに。その日に学校でやるかね
ベ:現場を見た教師もね、とにかくそのフロアから子どもを締め出すようにしないといけなかったんだよ。通りかかった下級生だかが現場見ちゃったんじゃなかったっけ
Y:あれは、犯人の子がどこかの教室に呼び出したんだよね
ベ:まあ、最近揉めてるから喧嘩になるだろう、ぐらいは被害者の子も予想してたんだろうけど、殺されるとは思ってなかっただろうな
Y:そりゃそうだ。でも、あの一件で驚いたのは、その揉め事がネット絡みだったというのは……実際、あんな田舎の小学生にもネットが普及していたというのは、ネット関係の人たちも佐世保の事件を契機に認識したようなんだよ
ベ:小学生をターゲットにしたウェブ業者があるわけだろ
Y:『ウェブログ・ハンドブック』訳者のくせにまったく知らなかった。ぱど厨なんて言葉も、あの事件の後小中高生のコミュニティが知られるにつれ言われるようになった
ベ:ネット自体が悪いというのではない。俺の持論としては、大学生までネットは必要ない。世の中を広める/狭めるとかじゃなくて、学校が教えることじゃない。家庭の貧富の差で使える子と使えない子が出てくるから、学校でIT教育を充実させなきゃという声もあるけど
Y:利用が前提の世の中だとは思うけどね。止められないんじゃないの? ネットのせいにするのは間違いで
ベ:いや、一面にはあるんだけど、媒体が交換日記でも起こっただろうし
Y:そうそう。ネットと現実体験をいきなり区別するのは間違いで。だって、ネットのやり取りだって十分「リアル」なんだから。それを甘くみて「リテラシー教育」なんて無理だろ。それにね、あのトラブルは、IDとパスワードを教えあって、相手の書いたものを削除したということでこじれたところがあるわけで。いわゆるフレーミングとかとはまた違うんだよね
ベ:中高生に飽き足らず、小学生を相手に商売するIT企業なんてもあれば、それでおかしくなる人も出てくるだろう。しかし、小学生と分かっている相手に、『バトルロワイヤル』を貸したレンタルビデオ屋はどこだ。でもなぁ、『バトルロワイヤル2』のロケ地が、一部長崎だったんだ
Y:ホントかよ……でも、今回の事件もネットのせいみたいに言われて。でも、加害者の子の家は山奥にあったみたいで、ネットが重要な現実との接点だったようで。つまり、当然あそこは都会じゃないけど、昔ながらの田舎の共同体からも切り離されていたんだ
ベ:小学生に自由奔放にネットつかわしちゃいかんだろ
Y:でも、俺の頭の中では、それこそ教室にはパソコン一台あるかないか、みたいなイメージしかなかったんでね。それが家庭でもあんなにあるなんてね
ベ:家には複数台あるのも珍しくないでしょ。お父さんのお古を子どもが使うとか
Y:ああした年齢層を対象にしたネットコミュニティがあるなんて思わなかった。ぱど厨の話とか驚いたよ
ベ:調べものがあったら図書館行け。辞書引け。なんでそんな時代から、そんなに便利なものを使わせるんだよ
Y:それが便利だからだよ
ベ:不便さを味あわせろよ。だからこそネットのありがたみが俺なんかこの歳になって分かるわけだ。図書館に通わせろ。ネットで検索するなんて、あんなの調べたのに入らない。今の大学生なんて論文書くのに八割はネットでひっぱってきてるんだから
Y:コピペ世代だな。欧米では、そういうのを検出するソフトウェアがあったんじゃなかったかな
ベ:社会自体が子どもを商品化、食い物にしてるでしょ
Y:世の趨勢でね、例えば女性のロールモデルが、若くて巨乳でセクシーで、そしてそれが楽しいことだというメッセージが常に与えられると、じゃあなんで自分がその楽しさを享受していけないんだと子どもに言われると、それに対して誰も答えられない
ベ:それに対して論理的に答える必要はないんだよ
Y:そうそう、子どもだからダメなんだよ、と今の大人が言えなくなってるんだよ。お前が子どもだからダメ、と自信をもって言えない
ベ:去年7月の駿君事件から、一年間長崎は「命の大切さ」とか「地域ぐるみで子育てを」とかやってきたわけよ。それはいいんだけど、方法を考える人間がバカだとダメだよね。やる内容を考える大人がバカだから届かない
Y:そういう啓蒙とやらが打ち砕かれたことになるのかな
ベ:子ども達を個性的に育てないと、というのが強迫観念になっているのがあるだろ
Y:個性というのは、嫌でも表に出てくるものだよ
ベ:誰でも凶暴性は持っているわけで、そういうのをコントロールするのを学ばせるのが教育だろ。罪悪感とか。でも、あれこれ言っては個性が育たないとか言って、結果的に二人の殺人者というとんでもない個性を育ててしまったわけだ
Y:個性重視の教育の弊害があるのは認めるけど、それが殺人者を育てたとまでは俺は言えないと思う
ベ:自分を抑えることを学ばせないだろう。そういうことをすると個性が伸びないと
Y:そういう教育の弊害が対人関係に出てしまうという意味では、今回の事件のほうが近いかもしれないけど
ベ:駿君の追悼集会を長崎の大学生達が開いて……発想が貧困というかさあ。先生になる人たちがさ、「私達は、なぜ駿君が命を失わざるを得なかったのか――」とか言い出して
Y:アホか。殺されたんだろ。必然だったのかよ。遺族に失礼だよ
ベ:誰か突っ込んでやれと思った。「なぜ駿君の命が失われてしまったのか」というべきじゃない? それで最後にさ、「私たちはまだ大学生ですが、駿君の死を無駄にしないよう、精一杯生きていきたいと思います」とか言って。バカかと。教育学部の学生だろ。どうして自分達が将来教師になることをふまえた言葉が言えないのかな。そういう事件を前にして不安になるのは分かるんだけど……お前たちの人生の礎となるために駿君の命があったわけじゃない。それを言っていいのは遺族だけだ
Y:もちろん全員が教師になるわけはないとしてもな。話を今回の事件に戻すと――
ベ:はっきり言っておかなくてはならないのは、被害者は何も悪くない。小学生高学年の女の子同士で喧嘩になる程度のものだし。最初ネットがどうとかで、被害者の子がいじめたからだみたいな言われ方もしたけどそれは違うだろう
Y:死者に鞭打つつもりはないけど、トラブルはトラブルであったんじゃないの?
ベ:それで殺していいというのはないだろ。陰湿ないじめとかじゃないのだから
Y:ああ、もちろんそれはそうだ
ベ:今度のは、精神異常でもなんでもないわけで
Y:去年対談したときも加害者の謝罪という話が出たじゃない。今回もそういうのがあって、被害者側が受け入れないと
ベ:前回の場合は過程があったからね。駿君のお父さんが手記に書いてたじゃない。訴えられるとか駆け引きがあって、それまで謝罪しなかったのが少年の裁判がはじまって、急に急に謝罪という話になったという。何が悪いって、弁護士が悪いんだ。しかしねぇ、長崎の鑑別所が日本で一番有名な鑑別所になってしまったね
Y:日本で一番有名な鑑別所!
ベ:加害者の女児は、罪悪感持ってないだろうね
Y:いやいや、それは違うだろ! 去年の少年とは違うでしょう
ベ:今罪悪感を持ってしまったらその娘自身が潰れるから、分かるんだけど分かりたくないという現実逃避している状態だろう
Y:いやー、僕は分かって(犯行を)やったし、今も分かっていると思うよ
ベ:その辺の児童心理学者なんかより俺のほうが分かってるよ
Y:お前の自信過剰は何なんだ一体
ベ:去年の事件だって、アスペルガー症候群だとか、自分達が知っている言葉に当てはめないと納得できんのか。自分達大人が理解できない事件を、自分達で納得させるために精神病名を作ってるとしか思えない
Y:加害者に精神鑑定をというのも、真相解明の役に立たないだろうな
ベ:今度の事件についてすぐにさ、「加害者の行為について精神病にあてはまる事はまったくありません」、とちゃんと答えた精神科医もいるんだけどね。最近の弁護士はバカの三段論法で精神鑑定を持ち出すからね。例えば、自分でヤク中になって殺人を犯しても、そのときに心神喪失していたとか弁護されて罪が軽減されたりする。なのに被害者の遺族がその犯人を殺したら、それの方が動機が確固としてあった立派な犯罪として扱われる
Y:近代国家の司法というのは、私的な復讐を排除し、法律がそれにかわるものとして成立したものだから。復讐権を個人から取り上げたんだ
ベ:法と社会が乖離し過ぎている
Y:(ドストエフスキーの)『罪と罰』のラスコーリニコフは、「法律の文字の破損料」という言葉を使っている。金貸しの老婆とその妹を殺して……あれの解説なんか読むと、ラスコーニコフが反省して自首したようなことを書いているものがあるけど、あの千ページを越える長編の最後の数ページに至るまで、彼は反省などしていない。彼は「おれの良心は平静だ」と言っている。それはともかくとして、「法律の文字の破損料」が歪んでいるんだよ
ベ:法は、犯罪者を法を破った対象として、つまり法律の第何条を破ったという理由でしか裁けない。被害者が駿君であろうが誰であろうが。法律と現実が乖離してしまっている
Y:お前の言うことも分かるけど……それは仕方ないところもあるだろう
ベ:去年の事件の犯人にしても、一生罪の意識を覚えることもない。なぜなら社会が、あなたは精神病でした、という免罪符ちゅうかレッテルをプレゼントしてしまったわけだ。あの犯人が40になって、自分の犯した殺人を考えるとき、ああ、あのとき自分は病気だったんだ、としか思わないだろう
Y:うーん、そこまで言うかね。まあ、駿君のお父さんも、弁護士から加害者も反省してますと聞かされて、でも調書を読んでそりゃ違うだろとなったというからね。でも犯罪加害者の更正は重要だよ
ベ:罪の認識を持ち、ちゃんと罰を受けた上で、更正する道を与えるのはいいだろう。ただ、最初から更正ありきというのは違うだろ
Y:去年の事件、今度の事件の加害者も、話題になっただけ、丁重に扱われるだろう。でも、彼らが更正できるとかというと、俺には分からん。一体どうすればいいんだと思う。分からない
ベ:巷の噂では、来年の5月1日には長崎で何があるんだろうと言われてて――
Y:お前が勝手に言ってるだけだろ!
ベ:でも、去年が7月1日で今年が6月1日、しかも去年が13歳で今年が12歳
Y:来年は11歳というわけか……イヤな話だよね
ベ:少なくとも10年以内に連鎖が終わるのが救いかな
Y:ブラック過ぎるよ、それ
[註1] 「ファスト風土化した日本と危険な地方農村部」によると、1998年から2003年の間に犯罪認知件数が4割増加しており、犯罪件数が増えているのは間違いないようである。またこれを書いた三浦展による『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』という新書が話題になっているが、当方は未読であり、論評はできない。
[註2] もう忘れられているかもしれないので補足しておくと、これは井上喜一防災・有事法制担当相(当時)が佐世保女児殺害事件について、「元気な女性が多くなってきたということですかな、総じてどこの社会も」と発言したのを受けたもの。