加藤弘一「電脳社会の日本語」(文春新書)


表紙

 日本を代表する文芸サイトである「ほら貝」で知られる加藤弘一が熱心に取り組んできた文字コード問題についての一つの成果である(本書のサポートページ)。期待したほどの売上がなかったことを著者は嘆いていたが、これは当方にとっても意外であった。僕は本書が刊行されたまもなく(一年前になるのか)に買っていて、リファレンスとして時々利用していたが、ちゃんと時間をとって読もうと思ううちに先延ばしになっていた。

 で、最近ようやく順番が回ってきたのだが、もっと読みにくい本かと思っていたのが、割と流れ良く読むことができた。導入部である第一章「電脳時代のS・カルマ氏」が顕著なのだが、これは著者の力量によるものだろう。文字コード問題を巡っては立場の違いが激しい対立につながっていて、加藤の仕事に対しても厳しい批判があるのは知っているが、この問題を見通しよく解説してきた功績はちゃんと評価するべきである。少なくとも僕は、野村雅昭による犯罪的ともいえる JIS 基本漢字の八三改正による改悪も、固定長が売りであるはずのユニコードがはじめから不定長である(なのにそれを認めたがらない)ことも、氏の文章で知ったことである。


 僕は「呪われる」という言葉を使うのだが、深入りしないようにしている分野が二つある。それは高度なセキュリティの問題と、文字コードである。端から見ていると、関われば関わるほど泥沼にはまるように見える。文字コードについては、加藤の文章を読んでもそれは痛感するし、大変な労力を費やして書かれ、非常に貴重でありながらも迷宮にはまり込みつつある小形克宏の「文字の海、ビットの舟」を読んでも思うことだ。

 しかし、である。先の二つの問題のいずれも、もはや避けて通ることのできないものであって、「呪われる」などと忌避するようでは駄目なのだ。文字コード問題は、党派性による対立に終始したり、単なる「漢字が足りない」式の年寄りの繰言(三浦朱門、お前のことだ!)に留まるものではないのだ。アンケートによると本書は第四章「漢字制限論争の亡霊」という抗争を書いた章の人気が最も高いというのも、あまり歓迎すべきことではないのかもしれない(いや、もちろん僕も面白く読んだが)。


 本書は、「電子データが正本になる」という当然来るべき未来を前提にして書かれたものであるが、JIS の問題、ユニコードの問題は分かっても、じゃあどうすれば良いのよ、というところが見えないうらみはある。前述の正しい前提を踏まえて書かれた補説「マークアップ文書は紙を超える」がそれにあたるが、マークアップ文書は狭義の文字コードとは無関係であるし。

 文字コード問題が年寄りの繰言レベルに収まらないというのは、当方が最近読書記録を書いてきた「優生学と人間社会」「カルト資本主義」と微妙につながったりする。というのも、国政レベルにおいて、1999年の住民基本台帳法改正を踏まえ、住民基本台帳ネットワークを整備する上で、文字コードの不備が国民総背番号制の現実化の口実になるかもしれないのだ。そうなると、「日本型 IT 社会」とやらの利権を総務省が押さえることになってしまう。

 ちなみに上の言説は、氏が発行するメールマガジン「月刊ほら貝」で述べられているもので、このメールマガジンにおける文字コード問題に関する文章(エディトリアル)は非常に貴重なので、時間を置いてもよいからウェブ上に公開してはどうかと氏に進言したことがある。しかし、「WWW上では差し障りのあることをこっちで書くという使いわけをしたい」とのことで拒否された。残念なことである。


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初出公開: 2001年04月29日、 最終更新日: 2001年05月08日
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