僕にとって大学生時代というのは思い出すのも情けなくなるような無為な時期であった。ろくに勉強はしなかったが、だからといってアルバイトをやり倒したとか、遊びまくって享楽的に過ごしたということもない。ひたすら何もせずに、ものの役にも立たない本ばかりを読み、腹の足しにもならない音を聞いて、あとは酒を飲み……書いていて寒くなったのでこのへんにしておく。
大学自体も小汚いばかりでつまんないとこだと思っていたし、講師もバカ揃いだと侮っていたが、つまんなくてバカなのは何より僕自身だった。
僕がいた大学がなかなか侮れないとこだったことに気付いたのは、就職後、ハッカー文化やフリーソフトウェア関係に首を突っ込み出してからである。その前に気付けよ。やっぱりバカ。
対談もやったおちこぼれ仲間にも「俺らがいた大学、学科ってのは UNIX やネットワーク関係のことをしっかり勉強するのに最適なとこだったのになぁ」とたまに愚痴るのだが、馬を水飲み場まで連れていけるが、水を飲むかどうかは馬しだい、とはよく言ったものだ。
僕が在籍していた情報工学科には NEWS OS(SONY 製の UNIX OS)が全面的に導入されていたっけ。NEWS といっても分からない人が多いだろうが、こっそり書いておくと、三年間使った僕も実は詳しいわけじゃない(でも、NEWS のメイン開発者が、AIBO のメイン開発者でもある土井利忠さん(ソニーコンピュータサイエンス研究所会長)だったとは! ETV2000 の再放送を見て知りました)。
プログラミングの実習にしても、UNiX MAGAZINE でもお馴染み、元日本 UNIX ユーザ会会長の齊藤明紀氏も担当してたのだからすごいじゃないの。ただこれは以前にも書いたことだが、氏の学生の間での評判はよくなかった。
しかし、できる人間ができない人間に接する場合、「man 読め」の一言で追っ払うしかないのだ、究極的には。今になってみれば彼の態度は技術者としては全くもって正当だったことが分かる(まさか自身のことを教育者と規定しているなんてことはないだろうし)。当時の我々はものの道理を知らなさ過ぎたということだ。
話が横道に逸れてしまったが、本当に書きたいのは学科時代のことではない。それより前の話だ。
僕が大学に入学した年に、ちょうど(情報教育センターをはじめとする)学内の計算機が一新された。入学間もない情報工学科の学生を迎えたのはモノリスのごとき神々しい輝きを放つ NeXTStation だった。僕はそれに触れることで「2001年」の類人猿のごとく英知を得、手にしたキーボードで周りの学生を殴り殺しその肉を食った……のなら今こうやって文章を書いているわけがない。いや、人をくった文章は常々書きたいと思っていますが。
そうでなく僕は NeXT 機の美しさに惹かれ、コンピューティング、プログラミング、ネットワーキングの楽しさに開眼した……のなら美しいのだけど、やはりそれもウソ。冒頭にも書いたとおり、当時僕の心は冷え切ってましたので。
そういう当時のワタシであるが、NeXT 機のかっこよさにビリビリくるぐらいの感受性はあった。デザイン[註1]といい黒のボディといい白黒なのに質感を持った画面構成といいとにかくクールだった。
他の UNIX マシンも経験してみると速度的な問題などいろいろと欠点も見えては来たが(CPU が Motorola 68040 の 25MHz なのだから、やはり隔世の感がある)、NeXT マシンとの出会いは一種の洗礼といってもよいだろう。いい時期に入学できたものだ。
この NeXT 機を創ったのが Apple Computer の創始者でありながら Apple を追われ、1985年に NeXT Computer を興したスティーブ・ジョブスである、といった歴史のお話はとうにご存知ですよね? でも、Apple 社、というかジョブスを巡る歴史のお話というのはホント面白い。それはコンピュータ業界自体が「若く」「激しい」ところだということに起因するのだろう。Apple(ジョブス)の場合と「若い」というより「幼い」という方が適切かもしれないが。
この業界において、ビル・ゲイツのように創業者が会社を追われることなく名実ともにトップに君臨し続けるというのは実は稀有なことである。が、それ以上にジョブスのように一度権力の座を追われながら、時を経て Apple による NeXT Software の買収という形で満場の拍手で持って再び迎えられるというのは感動的な例外に違いない。
彼が技術者を名乗るに値しない、他人の功績を横取りするだけの口の上手いセールスマンに過ぎない、というのは技術者の間では定評になっているが、それでもジョブスの、コンピュータを総体的にエレガントにプロデュースする能力が、それこそ Apple II、初代 Macintosh の頃から NeXT 時代を経て近年の iMac に至るまでこの業界随一であることもまた誰もが認めるところだろう。
また彼はカリスマ性に満ちた奴で、NeXT 時代においても、マシンが動くかどうか分からないような綱渡り状態でデモを成功させ観衆を熱狂させた話やロス・ペローから多額の融資を引き出した話など武勇伝には事欠かない。
僕が今こうやって書き連ねた駄文を公開できるのもワールド・ワイド・ウェブの普及のおかげであるが、その閲覧ソフト(ブラウザ)がはじめて実装されたのは NeXT であるのはよく知られた話だ……けど、これホント?[註2]
記憶が確かなら、僕自身は NeXT 上でブラウザを利用したことはない。だがメールは使えたし、掲示板機能(ここらへん記憶が思いっきりあやふやなので抽象的な書き方しかできない。すまん)も含めて、はじめからネットワークを利用できる環境にあったのはありがたかった。
大学一年生のときは主にプログラミング演習(言語は Pascal)で情報教育センターを利用していたが、サークル関係で文章作成するときにも NeXT を使っていた。標準のワープロ(エディタ?)は当時から縦書きもできたっけ。
教養過程の講義でも情報教育センターを有効利用しようという意欲を持った講師も、ドイツ語の力武京子教官をはじめとして少数ながらいた。
ここでまた横道に迷い込むのだが、僕のネットサーフィン歴の中で最も衝撃を受けた体験が、実は昨年力武先生のウェブページを見つけたことだった。僕は彼女がここまでネットワークとコンピュータに精通した人だとは知らなかった。そして何より「Truebe Wolken(暗い雲)」に書かれる近況自体にも、それを彼女が率直、克明に書かれていることにも驚いた。これは並みの人間にはできることではない。一日も早い先生の快復をお祈りします。
さて、NeXT との出会いから年月を経て、ワタシはこんなに素晴らしいエンジニアになりました……とかっこつけたいのだが、現状ただのクズ技術者に過ぎない。しかし僕と違い、NeXT から見事に「何か」をつかんだ素敵な人達だっているんだ。今回はその話をしたいのだ(一体どこまでが前置きなんじゃ!)。
まず Project Vine の竹田英二さん。彼は Vine Linux に標準添付された Vine Tools の作者である。彼自身ウェブ日記で NeXTSTEP 原理主義者宣言をされていたが、特にメーラ Vmail は、NeXT のメーラの外観を非常に意識してものになっている。
思うのだが、そうした嗜好性、趣味性を動機とするハックというのは、技術者としての必要性から生じたハックよりも劣るものでは決してない。そういうものこそが、フリーソフトウェア文化をユニーク、かつ豊かなものにしていると思う。
それに「俺の UNIX マシンで NeXT を!」というのは実際一つの流れを成している。例えば、ウィンドウマネージャにおいても、NeXTSTEP の外観を忠実に再現した AfterStep があるし、Vine Linux でデフォルトのウィンドウマネージャに採用されている Window Maker も確か AfterStep 直系ではなかったか。その上で Vmail が起動された画面というのが我々の琴線に触れまくりなのだな!
当然であるが、Vmail は趣味性のみに完結したアプリケーションではない。Vine Tools 自体初心者に簡単・軽快に利用できるエディタ、メーラを提供するという明確な目的意識のもとに作られたものである。これは Linux の利用者の拡大のために必要不可欠なものであるし、こうした初心者への配慮と、木目の細かい日本語環境を実現したことで、Vine Linux が日本における最大のシェアを獲得した Linux ディストリビューションになったことに異論の余地はないだろう。
しかし、Vmail は(Linux 初心者に限っても)Vine ユーザに一番利用されているメーラではないのではないか。その原因を考えると、やはりソフトウェアとしての質があったと思う。少なくとも Vine Linux 1.1 に添付された段階では、基本的な挙動、操作性にも結構問題があった。
でもそれだけではないだろう。バグフィックスが進まなかったのは、(これは余り蒸しかえしたくはないのだけど)ライセンスの問題があったのは間違いない。Vine Tools が Project Vine の意図と反して「クローズド・ソフトウェア」とみなされてしまったのは普及の妨げになってしまった。その後遺症は、ライセンスが改善された後もなお続いている。
しかし、Linux 界には「多様性は善」という思想があるし、実際初心者でも直感的に使えるメーラというのは Vmail だけではない。例えば、最近急速にシェアを伸ばしている Sylpheed がある。
はじめて Sylpheed の画面をみたとき、「やられた!」と思った。これこそ多くの人が求めていたものだからだ。つまりは Becky! 的画面構成、ということなのだが、こういうものはやはり UNIX プロパーな人には気分的に作りにくいところがあると思う。タブーを破った(というほど大げさなものでもないが)作者の山本博之さんに多くの人が感謝しているだろう。
会社で隣の席の先輩(FreeBSD マスター)が試用している Sylpheed の挙動を見た感じでは、メーラとして基本的な機能の欠如、編集機能や添付ファイル関係でバグも簡単に見つけられるが(たまに文字化けメール、添付ファイルのおかしいメールが来る)、更新履歴をみればお分かりなように急速に進化を遂げていて、ピアレビューが着実に効果を挙げているのが伺える。
そして、ここまで読まれた方なら話の展開が予想できると思うが、Sylpheed の作者の山本博之さんも NeXT 世代の人なのである。プロフィールをみると、NeXT に感動しそこから UNIX のことを学んでいったことが書かれてある。NeXTSTEP の中核部分が Mach カーネルであることを大学を卒業してから知ったワタシのようなボンクラとは大違いだ!
さて、僕が NeXT マシンと出会ってから八年が経った。昨年の秋、僕の出身大学に NeXTSTEP に代わって TurboLinux 搭載機が全面的に導入される、というニュースを耳にした。お勤めご苦労さん、と何とも感慨深かった。
そこで思うのだ。今年の新入生が情報教育センターで動かした Linux は、我々が NeXT マシンから受けたような驚き、興奮、喜びを与えられるのだろうか。彼らは Linux にどんな印象を持つのだろうか。Linux から何を学ぶのだろう。どういう風に使いこなすのだろう。何を創り出してくれるのだろう。
僕には分からない。でも、(恐らく彼らが使ったことがあるであろう)Windows、Macintosh との勝手の違いに戸惑いながらも、コンピューティング、プログラミングの素晴らしさを学んでくれれば、と願わずにはいられない。
僕は想像する。彼らの何人かが NeXT 世代の成果である Vmail、Sylpheed を TurboLinux 上に導入し、使いこなす姿を。彼らがインターネットを利用し、自分達の知らなかった世界で素晴らしいフリーソフトウェアが作られていることを知る姿を。彼らが自主的にそこに関わっていく姿を。そして、ハッキングの現場で活躍する彼らの中の誰かが「The TurboLinux Generation」という文章を誇らしげな戦果として書き残してくれることを。
それは八年後じゃなくたってよいのだ。さあ、はじめよう!
[註1] 宇津さんからのメールで思い出したのだが、NeXTStation にはピザ・ボックスという通称があった!
[註2] mayo さんから教えていただいたのだが、WWW の生みの親であるティム・バーナーズ・リーが開発した最初の WWW アプリが WorldWideWeb.app という NeXT 用のものだったらしい。
[後記]:
自分が書こうと思う以上の文章になった稀有な例。特に、予想もできなかった善導的で前向きな終わり方というのは僕自身驚いた。書いた後、同窓生だなとピンと来た人からメールをいただいたのは嬉しかった。