さらばわれらがビル・ゲイツ


 週刊ビジスタニュースの編集者から「されどわれらがビル・ゲイツ」の原稿依頼があったのは、5月のゴールデンウィーク明けだった。前回の「スティーブ・ジョブズ今昔物語」は一日で書きあげたが(これは別にそう指定されたわけではなく、勝手に当方が一日で書いたのだ)、今回は締め切りは6月のはじめということで、およそ一月弱時間がある。

 こいつは余裕をもって書けそうだと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。元々本業が忙しいところに、断るわけにはいかない翻訳仕事が入ったのである。楽観はあっさり崩れ去った。

 当方は雑文書きを自称しているが(週刊ビジスタニュースに掲載される肩書きも、編集者が書いた「ライター」をわざわざ「雑文書き」に直してもらった)、それでも依頼されて文章を書くというのは今なお非日常的体験である。自分のサイトであれば、できあがった文章をその順番に公開すればよいが、この場合そうもいかない。

 少し前に結城浩さんが、本にしろソフトウェアにしろトップダウンに書けるものではないということを書かれていたが、それはこうした雑文仕事にも言えることである。そして、それがどうやって書かれるかを説明するのは難しい。その過程はシステマチックなものではなく、アナログ的なものだからだ。


「されどわれらがビル・ゲイツ」のためのメモ

 ワタシの場合、何かまとまった文章を書こうと思ったら、最近ではまずメモを取るようになった。メモを取るのに利用するのは山下達雄さんからいただいたメモ帳で、これの利点についてはたつをさんによる「いつでもどこでもメモしたい」を読んでいただきたいのだが、ワタシの場合題材が決まったら、それについて思いつくことをひたすら箇条書きで書き殴り、それを後で眺めて自分の中で何かしらの文脈が見えてくるのを「待つ」。

 左の画像が「されどわれらがビル・ゲイツ」を書くにあたり書き殴ったメモである。画像が見にくいが、自分にしか分からない言葉で書かれているものも多いから、どっちにしろ分からないと思う。ここに書いた項目は実はかなりの部分文章には反映されていないのだが、これこそがワタシのような文才のない人間が雑文を書くのに必要な無駄なのだ。

 上で「待つ」という言葉を使ったが、黙ってメモを眺めているだけで完成図が見えてくるわけはないし、今回の場合最初に考えた文章の構成を破棄している。

 最初は、あるウェブサイトについての文章を通じてお題を語ろうと考えていた。そのサイトは、左の画像にも名前が載っている、この文章を読まれている皆さんも名前を知っているであろう有名サイトである。かつてワタシは、月曜の朝職場でこのサイトを必ず閲覧していた。とても大好きなウェブサイトだった。しかし、いつしかその内容の変化のなさに嫌気がさし、やがて読まなくなった。それからもう三年以上経っているだろうか。

 結局このサイトを通して……という構想はメタ過ぎると破棄されるのだが、この文章を書くために本当に久しぶりに件のウェブサイトを覗いてみた。健在であった。そしてやはり変わっていなかった。


 自分がウェブサイトを始めた1999年、熱心にオープンソース関係の雑文を翻訳していた頃、その原動力の一つにアンチマイクロソフト感情(中二病的と形容できるかもしれない)があったのは否定しない。あれからワタシは変わったのだろうか。間違いなく変わっただろう。しかし、変わったのは自分だけじゃない。99年当時、仕事の開発環境として Linux が欠かせなくなるなど考えられなかったが、それが今の現実である。一方でマイクロソフトに対しても、根本的な評価の辛さは変わらないが、明らかに一面的に見ることもなくなった。

 「されどわれらがビル・ゲイツ」に話を戻すと、凡庸にフォーブスの長者番付の話から始めることにしたが、そのときワタシの頭にあったのは、タモリのことである。何のことかと言われそうだが、ゲイツが長者番付のトップを守り続けることの当たり前さが、平日のお昼にテレビをつければ当然のようにタモリがいることと同種のものに感じられたのだ。

 しかし、すべては変わるのだ。いずれ「笑っていいとも」が必ず終わるように、フォーブスの長者番付のトップがビル・ゲイツでなくなる日が必ず来る。

 この話も文章を書いていく時点で落とされてしまうのだが、ワタシは間違いなくタモリが降りるほうが先だと考えていた。ご存知のように「されどわれらがビル・ゲイツ」がウェブに公開された直後にビル・ゲイツは二年後の引退を発表しており、あやうく大外しをするところだった……と思ったが、引退は二年先だし、彼の財産の大部分を占める株の所有は変わらないから、番付トップの地位は変わらないのかもしれないな。

 それよりもこの文章の原稿依頼が少し遅れ、締め切りと引退発表が重なっていたら、内容を一から書き直すことになるという修羅場になっていたわけで、考えるだに恐ろしい(笑)


 このような試行錯誤を重ねるうちに、「されどわれらがビル・ゲイツ」の準拠枠が定まってきた。それは以下の三つの文章である。

  1. Robert X. Cringely の Prisoner of Redmond
  2. Joel Spolsky「リック・チャップマンによる 愚かさの探求(あるいは「アホでマヌケな米国ハイテク企業」)」(『Joel on Software』収録)
  3. Bruce Sterling の The Code Da Vinci Lived By(『Make:02』収録)

 『コンピュータ帝国の興亡』の著者であるクリンジリーの文章は、ビル・ゲイツの人間性についての逸話をそのままマイクロソフトという企業に延長して語る例である。確かにその逸話は面白い。マイクロソフトがビル・ゲイツとポール・アレンが共同で創業した会社であるが、ゲイツはアレンの MITS での副業を理由に所有する株式の割合を64対36と差をつけたというのだ(もちろんゲイツが64%)。しかし、MITS はマイクロソフトの当時唯一の顧客で、その絡みでアレンは雇われていたわけだから、ゲイツのがめつさが分かる。しかしそれ以上にすごいのは MS-DOS 2.0 の開発が山場を迎えていた頃の話である。当時ホジキン病で闘病中の身で DOS 2.0 の開発に心血を注いでいたアレンはある夜遅く、ゲイツとスティーブ・バルマーの二人が、このままアレンが死んだら彼が所有する株式をどうやって取り戻そうかと相談する声を聞いたというのだ。

 心温まる話である。


 アンチマイクロソフトの人はこういう話を聞くと、大喜びでそのままマイクロソフト批判につなげるのだが、独占禁止法違反訴訟での不機嫌な受け答えあたりを最後に、ゲイツもその種のボロや逸話を出さなくなった。これはゲイツ側のガードが固くなったからというのが一番だろうが、一方で CEO の座をバルマーに譲った後、マイクロソフトのビジネスに対する執着が徐々に薄れていたのも今になれば分かる。

 続いてジョエル・スポルスキーの文章だが、「ソフトウェアビジネスで成功しようと思うなら、プログラミングを愛し、理解しているマネジメントチームを持つことが必要だが、それに加えて彼らは、ビジネスをも愛し、理解している必要がある(p.240-241)」と書くジョエルの頭にあるのは、間違いなくビル・ゲイツである。ジョエルは「プログラミングを愛し、理解している」を重視しているが、一方で「ビジネスをも愛し、理解している」重要性も否定できない。ここに至ってゲイツの資質を表現する「資本主義に高度に最適化された」という言葉が見つかり、何とか文章がまとまると思ったのを覚えている。また資本家が社会的義務として慈善活動を行う欧米の伝統を考えれば、慈善団体である自身の財団への活動へのシフトというゲイツの決断は、特段不思議でもなんでもなく、その最適化の自然な着地点と言ってもよいだろう。

 クリンジリーとジョエルの文章に関しては、最終的に自分の表現に置き換えているが、ブルース・スターリングの文章だけはそのまま名前を出して使っている。この違いは何かというといくつか理由があるのだが、最も大きいのは「されどわれらがビル・ゲイツ」執筆中に引き受けた翻訳仕事の一つが、このスターリングの文章だったからだ。そうなのだ。ワタシは無駄が大嫌いなのだ(はぁ?)。それより重要なのは、オライリーのハードウェアハック雑誌(オライリー・ジャパンの編集者曰く「極端なDIYを扱った雑誌」)Make Magazine の日本版が出ることである。


 ジョエル・スポルスキーは、ビル・ゲイツ引退の発表を受けて「はじめてのBillGレビューのこと」という文章を書いている。ゲイツによるレビューについては、古川亨さんや中島聡さんも書いているが、よほど強烈な体験なんだろうな。

 「はじめてのBillGレビューのこと」は、冗談や皮肉抜きで感動的な文章で、ジョエルはユーモアは下手だけど、こうした具体的な話からその背景を浮き彫りにする話を書かせると実に上手い。あのジョエルがビル・ゲイツを前にして小娘のように緊張しているのは微笑ましいが、彼はマイクロソフトが辿った問題もきちんと書いている。

何年にも渡って、Microsoftは大きくなり、ビルは無理をしすぎ、疑わしい倫理的な判断により、マネジメントの注意の多くを米政府との闘いに向ける必要が生じた。スティーブがCEOの職を引き継ぎ、それによってビルはより多くの時間を彼が一番うまくやれることに注げるようになるはずだった。ソフトウェア開発組織の運営だ。しかしあの11層のマネジメント階層の引き起こす問題は解決しなかったようだ。

 しかも Charles Cooper も書いているように、彼が最高ソフトウェア責任者を務めたこの6年間、マイクロソフトから素晴らしい技術は生まれなかった(ゲイツが最新のインタビューで重要性を強調していた WinFS に関しても、もはやそれが製品にのることはないという話もある)。

 ビル・ゲイツの引退発表は、その職責に見合う成果を出せなかった人間が後進に道を譲るというありふれた出来事と言うこともできるわけだが、彼が見抜けなかった「検索」という名のブルーオーシャンを制した Google の名前を「悪の帝国2.0」といういささか意地の悪い表現とともに「されどわれらがビル・ゲイツ」に盛り込めたのはよかったと思う。マイクロソフトは、「ブルーオーシャン」を競争相手の血で染めレッドオーシャン化してきた企業なわけだが、ビル・ゲイツが本腰を入れて Google に対するのを見れなかったのはいささか心残りである。

 今ようやくジョン・バッテルの『ザ・サーチ』を読んでいるのだが、Google 創業者のラリー・ペイジについて、「ペイジを見ていると、マイクロソフトを創立したあの有能なビル・ゲイツが思い出される(p.98)」と書かれてあるのは示唆的である。彼もやはり資本主義に最適化されているのだろうか。


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初出公開: 2006年06月26日、 最終更新日: 2006年06月27日
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