I can't blog.


本文章を書く契機を与えてくださった shino さんに心から感謝します。もちろん、本文章中に用語の誤用、誤った分析がある場合はそれはすべて著者の責任です。

後記:本文書が公開される前後に blog 騒動とも言えるものが勃発しました。それを経て本文書に登場する人達(著者を含む)の認識・状況は変化しています。本文書には歴史的価値があると思います(思いたい)のでそのまま残しますが、本文書だけをもってその登場人物、ソフトウェアを評価・判断することは決して行わないでください。

 ウェブログ、weblog、blog といった言葉をはじめて聞いたのはいつだったか正確には思い出せないが、おそらく昨年(2001年)のことだろう。僕は情報の流れには思いっきり疎いほうなので、その前年までには日本にも入ってきていた言葉に違いない。はじめて聞いたときのインパクトが薄いのは、「ああ、ウェブ日記のことですか」と片付けていたこともあると思う。時折書いているように、僕は基本的にいわゆるウェブ日記が嫌いなので海の向こうにおける weblog というものがいかようなものか探究してみる気が起こらなかったのだ。

 ただ時折 HotWired にウェブログに関する記事が翻訳されるようになり、また個人サイトでもこの言葉が引き合いに出されるにつけ、「ウェブログ=ウェブ日記」という図式だけにはとどまらないことに気付き少し戸惑った。

 しかし、この理解の揺れは僕だけの話ではないようだ。例えば海外サイト紹介において一家を成す百式にもそれが見られる。例えば百式においてはじめて weblog という言葉が登場する BLOGGER紹介する文章では「掲示板メインのサイトをWEBLOGという」と書いていたが、その次の BLOGSTICKERS紹介の際には「ウェブログ(インターネット上の日記型のコンテンツ)」と修正が図られ、その次の BlogTree紹介時には「ウェブログ(日記サイト)」と足元が固まり、BlogMints紹介文の冒頭では「またしてもBlog系ツールの登場である」ともはや用語の説明はなされなくなっている、という案配である。

 しかし、例えば日本でも掲示板をサイト管理者のみが書きこめるようにしてウェブ日記用途に使っている人は多いし、そうなると両者の違いは小さい。これを「記述の揺れ」というのは酷かもしれない。


 また「ウェブログ=ウェブ日記」でない理由に、ウェブログがもう少しリンク駆動型というか、他サイト(例えばニュースサイト)における記事をリンクし、それについて論評を行う、もしくはリンク(の選択)自体が主体となる形式を取るものも多いからというのがある。

 実は、僕は「テキストサイト」という言葉についてこれと似た経験がある。テキストサイトという言葉をはじめて聞いたとき、僕は文字通り「テキストサイト」→「文章からなるサイト」→「雑文サイト」と勝手に解釈して「テキストサイト管理人に100の質問」答えたし、その中で最高のテキストサイトとして迷わず鉄血くだらな帝國を挙げもした。しかし実際にテキストサイトの代表格だと言われるのはちゆ12歳、連邦、TECHSIDE などの個人ニュースサイトに近いものであり、自分の感覚は少しずれていたことに気付く。僕個人はこれら代表的なテキストサイト(あと侍魂なども)のほとんどを巡回先にしてないのであまり突っ込んだことは書けない。先日もジュンク堂で「Wiki Way」を買ってくれた人にサインしてやろうと(またやってたんかぃ!)少し離れたところで「テキストサイト大全」をしばらく立ち読みしてみたりもしたがまだよく分からんところがある。もちろんこの場合、分かって何がどうなるものでもない。

 海の向こうで weblog と言う人達は、そうした意味で純粋な「ウェブ日記」とリンク駆動型の「個人ニュースサイト」、そしてそうした他サイトへのリンクを契機にして自分の意見を述べる(もしくは自分語りをする)サイトの区別は問題にならないのだろうか。


 上で「基本的にいわゆるウェブ日記が嫌い」と書いたが、そうはいってもウェブを巡回する中でそうしたウェブ日記を実際にはたくさん読むことになるわけである(これは日本文学を読み辿れば嫌でも私小説を一定数読むことになることに近いのかもしれない)。以前は「WWW 上に日記を公開しているのは日本人が圧倒的に多い」などと言われたが、当時はともかくとして今はそれは適当ではないのだろう。「ゲイツとジョブズを同性愛カップルに見立てたウェブ小説」を読んだときも「やおいはアメリカにもあったのか!」と驚いたものだが、やはり同じ人間である。考えること、やることにそう違いはないということか。

 しかしこれを頻繁に取り上げるメディアが(例えば ZDNet ではなく)HotWired だったというのも何か分かる気がする。その取り上げ方を時系列で追うとなかなか興味深い。「個人発信『ウェブログ』から民主的メディア革命を(上)(下)」、「ウェブ上で日記を公開する『ウェブログ』の可能性(上)(下)」、そして「「ナップスター革命」に匹敵する「ウェブログ革命」」といったタイトルの扇動的なところが HotWired らしい。それでもこれらの文章にほのめかされていた商業的な可能性は「ウェブログ戦略を展開するマクロメディア社」、ウェブログ界(?)の成熟については「正統派ジャーナリズムが「ウェブログ」を認知?」「『デイポップ』はウェブログ界の『ビルボード』チャート」といったあたりにつながってはいる。ただ最近では「米陸軍の入隊勧誘、ゲームの次はウェブログ」「米連続狙撃犯をめぐる推理、ウェブログ探偵続々登場」「ウェブログの指摘で裁判官が判決文のミスを修正」といったあたりになるとウェブログである必然性がなく話題として小粒な感がある。逆に言えば、それだけウェブログが普遍的なものになったということかもしれないが。


 ウェブログという個人による情報発信手段が広がる過程で、既存の書き手による反発があったのは想像に難くない。上に挙げた文章の中にも取り上げられている John Dvorak の「オンラインにおける「ブロッグ」現象とは」はむしろ好意的なくらいで、『ボストン・グローブ』紙のアレックス・ビームによる「終わることなく自己満足を響かせるだけのエコールーム」「後になって是非もう一度読みたいと思わせるような内容など皆無で、ウェブロガーどうしの連帯もなく、常軌を逸していればいるほど誉めてくれる人がいるメディア」という評価を下す人間も珍しくない。日本においても「「ブログ」の中のうじ虫」のような既存メディア側の特権意識、差別意識が透けて見える文章が書かれているが、うじ虫が書いた文章をとやかく言うのは野暮というものだ。

 結局はコンテンツの質、という面白くもなんともない結論になる。というかそれ以外にないのである。それはウェブログだろうがウェブ日記だろうが雑文だろうが基本は同じである。別に全員が考えさせる論説を書く必要なんかない。少なくとも芸を見せて笑わせるなり恐がらせるなりしてほしい。いくらその人が頭が良く有能でも面白いところの文章しか書かなければ僕(読み手)にとっては何の意味もない。気取っているように感じられるだけ不愉快である。個人名を出して恐縮であるが、僕にとっては力武健次氏や気取ってはいないが藤原博文氏が書く雑文などその典型である。


 閑話休題。そもそもウェブログはどこらへんから始まったものなのだろうか。歴史的経緯について知るのに最適な文章として Rebecca Blood による「weblogs: a history and perspective」がある。これを読むと Jorn Barger が1997年に weblog という言葉を名づけたとのことでそんなに前だったのかと驚いてしまうが、この文章自体2000年の9月に書かれたものであって、飽くまで第一期の総括ということになるのかもしれない。つまり例えば blogdex、daypop といったウェブログ界をランキングにより指標化するサイトが登場する以前の。

 今年に入ってあちらではウェブログを中心的に扱った書籍がぼちぼち発刊されているようで、その中には「Running Weblogs with Slash」のような具体的なツールに特化したものもあるが、むしろその社会学的な面を扱ったものが多い印象がある。

 そしてその代表となるのがやはり Rebecca Blood の「The Weblog Handbook: Practical Advice on Creating and Maintaining Your Blog」で、Slashdot をはじめとしていろいろなところで取り上げられている。実は僕自身今まさに読んでいるところなのだが、特定のツール・技術に特化した書き方をしていないので内容的に陳腐化しにくい点、丁寧にウェブログの作り方、盛り上げ方を解説している点は評価できると思った。つまり普遍的な内容を扱った本だと思うが、ウェブログに寄せる信頼というか前提となるところに嘘臭さを感じれば treacly and inane と吐き捨てたくもなるだろう。が、それはそれ。

 この本の日本語訳はもう既に誰か手がけているのだろうか。もし誰もやってなければ僕がやりますよ。どうですか、編集者の皆さん(って誰よ?)。


 しかし、である。ここまで書いてきてもどうしても合点がいかないのだ。確かに weblog は weblog として発展してきたのだろう。それは良い。しかしそれを日本に置き換えた場合、既存の「ウェブ日記」「テキストサイト(個人ニュースサイト)」とどう違うのか、と。既存のものにないものを与えてくれるのか、と。既にウェブ日記システムは膨大な種類存在する。

 Webmonkey の「ウェブログツールを使ってみよう(第1回)(第2回)(第3回)」を読むと確かにあちらのウェブログ・ツールの洗練の度合いは相当なものであることが分かる。CGI よりも専用のクライアントソフトを導入するものが多いようなのが日本のウェブ日記システムとの違いかな。確かにこれだと敷居が低いかもしれないが、それを除けば機能的なところ、双方向性の実現といったところでいうと、例えば tDiary など相当なものだと思うのだがどうだろう。簡便に日記をアップロードすることを可能にする場もいくつもあるし、ウェブ日記システム以外にも関心空間のような毛色の変わったシステムもある。

 こう思うのは、最近「インターネットにおける自発的コミュニティの形成,特に Web 日記に関して」を読み直したことがあるのかもしれない。これなど Rebecca Blood の文章の日本版にあたるものだろう。この文章に書かれるように独特のコミュニティの形成とその展開があったわけである。そして個人サイトの登録、ランキングサイトとしての ReadMe! JAPAN、話題の流れを知りたいならせかいのまんなかいしなおさんの各種仕事などが既にあるではないかとどうしても思ってしまう(もちろんこれらのサイトの中にだってウェブログ側の影響を受けてできているものがあるのは言うまでもないが)。

 さてまったくの余談であるが、前述の「ウェブログツールを使ってみよう」で描かれる男女の描写は何とも奇怪である。「女の子にサイトのことをさりげなく話すと、とたんに彼女たちの顔が輝き出す。ハスキーな声で、メッシュの入った髪を意味ありげに指へからませながら、僕にそっと電話番号をささやく」とか、「むくんだ指の関節でJavaプログラマーと一目でわかる色男に親しげに話しかけている彼女」とか一体著者はどういう文化圏に住んでいるんだ!?


 もちろんちゃんと見ていけば違いがあることは分かる。技術面に関して言うと、ウェブログでは RSS によりそのウェブログのサマリを切り出せるようにしているサイトが多く、それがまた他のウェブログで利用しやすいようになっている。前述の「ウェブログツールを使ってみよう」でも書かれている「コンテンツ作りとサイトデザインの分離」(いわゆる MVC(Model-View-Controller)デザインということですね)を機能面だけで実現するのでなく XML 関係の標準に則ることでスマートな情報利用が可能になっているツールも多いのだろう。しかし、Rebecca Blood の本にはそうした XML(-RPC), RDF, SOAP 周りの話はまったく登場しない。どこまでウェブログ作者がそこらへんをちゃんと意識しているかは少し疑問がある。

 また件の「ウェブログツールを使ってみよう」にもあるようにウェブログツール・サービスには有料のものがいくつもあり、日本のウェブ日記システムと違ってその周辺でビジネスモデルが確立しつつあるのではないか。ビジネス展開の可能性こそが実は一番大きな違いなのかもしれない。そうした意味で HotWired の記事にもあったが、マクロメディアのような企業がウェブログに参入するのはよく分かる気がする。また既存のパブリッシャーである Salon がウェブログサービスを行うのも一種の防御型攻撃なのかもしれない。

 またその他の記事を読んでいて、ウェブログの企業利用は、山形浩生による翻訳も出た「ゴンゾー・マーケティング」そのものなのではという気がする…のだが、すいません、僕まだこの本を読んでないので書評などからの推測でしかない。既に読まれた方に補足していただきたいところである。

 しかし既存のウェブ日記システムでもこれに近いことは実は行われている。例えば tDiary で日記を書いている人には(これは個人的な印象かもしれないが)NTT データの社員の方が多く、それを読むと非常に技術力に長けた社員が多数おられることが分かる。しかしながら、そこに書かれる内容は会社への不満であることが多く、マーケティングの役目はまったく果たしていない。もちろんのこと、ゴンゾー・マーケティングを目的にしてそれらのウェブ日記が書かれているわけではないのだからそれは問題ではない。

 またそうした tDiary(コミュニティ)を見ても思うことだが、作者は他者からの評価、リアクション(ツッコミ)を求め、またそれを分かりやすく把握する方向にウェブ日記システムが進化してきている。それは blog でも同様なようで、他サイトからの参照情報であるリファラ情報が referral marketing としてスパム的に悪用されてしまうという事例もある。こうした悪用がビジネス足り得ること自体それはそれですごいことだ。


 上で企業が絡んだ場合のビジネス展開を取り上げたが、もっと小規模な個人レベルであってもウェブログとマイクロペイメントがセットになった報酬モデルが日本にも入ってくるのかもしれない。例えばかの Eric S. Raymondウェブログなど呆れるくらいの分量を誇るが、ちゃんと PayPal による寄付の口を設けていたりする。こうしたウェブログは多い。もちろんこれまでのウェブ日記においても大変な分量を誇り、それなりの金を出してやってもよいぞと思うようなサイトはいくつかあった。マイクロペイメントは blog として意匠を新たにすることで日本でも本格化するのかもしれない。

 「意匠」という言葉を使ったが、それが内実の伴ったものであればどうでも構わない。ただ意匠だけ変えてこれからは blog で決まりっすよ、最高のコミュニケーションツールっすよ、とでも言いたげな言説を見ると正直何だかなあと思うのだ。

 と書いたところで紹介すると怒られるだろうが、東京大学メディア環境学研究室あたりで横並びにウェブログやっている人達は、僕のようなトーシロでも一瞬で考え付く以上の疑念を凌駕する価値観を提示してくれているだろうか。研究室というなら、少しは理念的バックボーンをしっかり提示してくれと言いたい。それなしに『blogが一般的になったときに、「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)』などと書いても足元を見られるだけだと思うがどうだろう。


 そしてこの辺の人達の流れと連動して、伊藤穣一飯野賢治あたりが Japan Blog Associations なる組織を作るという話があるようだ。

 伊藤穣一については Paint A Vulgar Picture という文章でボロカスに書いたことがあってどうしても色眼鏡で見てしまうところがあるのだが、基本的には僕などより遥かに有益な仕事をしてきた人である(当たり前だが)。それはちゃんと分かっている。また飯野賢治については、彼のゲームでプレイしたことがあるのは「Dの食卓」だけで、それはものすごく楽しませてもらい、幸運なことにそれ以降の作品をまったくプレイしたことがないので彼に対して個人的な悪感情はまったくない。

 しかし上の「blog草創期」という物言いやその周辺の顔ぶれを眺めると何か胡散臭さ、もう少し失礼な言葉を使うなら山っ気を感じてしまうのだ。彼らはこの十年間日本において独自の展開を遂げてきた個人サイト(ウェブ日記、個人ニュースサイト、テキストサイト)史を踏まえた上で「これからは blog だぜ」と言えるだけの、サイトの見た目の瀟洒さ以上の新規性、独自性、必然性を見せてくれているだろうか。自身の blog で実際にバリューを見せ付けてくれるのはこれからだとしても(今現在、何らかの形を出しているのは伊藤穣一だけ)。結局は Japan Blog Associations のお手並み拝見ということになるのだろうが、そっち系業界人の特権意識、権威主義がもろに出そうな気がするのはワタシという卑しい平民の偏見に過ぎないのでしょうね。


 話を戻すと、あっちのウェブログの隆盛はやはり相当なものだ。上で ESR のウェブログを紹介したが、他にも例えば Lawrence Lessigblog を持っており、こうした著名人の(ウェブ日記に留まらない)blog もコンピュータ系に限らず増えていくのだろう。

 また weblog の形式(の一つ)であるリンク駆動型サイトが別に個人の日常と関係なく機能するのは個人ニュースサイトを見ても自明なことで、Google Weblog日本語版)などはその最たる例である。また icann.Blog などを見ると、要はいわゆる「ウォッチ系サイト」でしょとも思うのだが、スタイルがある程度合致すればそれはすべてウェブログの範疇に含まれるわけで細かい定義にこだわっても仕方ないのだろう。文章主体という先入観も Photoblogs.org というサイトがあることを考えると適切ではないようだし。ただ O'Reilly Network Weblogs あたりになると、こういうのまでウェブログに入るのかぁ? と思うのも事実である。お前、ウェブログって言いたいだけちゃうんかと。


 こうした広がりはコミュニケーションツールの総ウェブログ化につながるのかもしれない(大げさか)。僕などは「Wiki Way」を訳した関係上、コミュニケーションツールとしてまず Wiki を考えたいのだが、WikiLog といった用語、また BlogEdit といった具体的な機能を見ても Wiki にしても blog 的展開は避けられないのかもしれない。

 またグループウェアの世界でもマイクロソフトの Sharepoint はウェブログツールになるのではないかという意見があったりして Wiki をそっち方面にも推したい当方としては少し複雑なところである。ラフな共同作業となると Wiki が強いと思うのだが、個人が平行して作業を進めながらトピック単位に管理していく形だと blog 的なツールのほうが強いのかもしれない。

 というわけで最後は自分のための備忘録というかとりとめもオチもない文章になってしまったが、今後日本に blog が本格的に入ってくるのだろうなぁとは思う。そしてその入り方もはじめから既存のウェブ日記システムより上というか次というかオールドタイプ、ニュータイプを分けるもの、さらに言えばその選択自体が一種の差別化につながるようなものになるような予感がある。もしくはマーケティング先行型の……嗚呼、ダメだダメだ、どうもネガティブな意見が先に来てイヤだ。

 「blog草創期」と書いて悦に入っているバカはともかくとして、少なくとも伊藤穣一はインターネットによる個人の力の有効な利用とマスメディアへの力の行使のあり方を考えていると思う。僕としてはそこら辺から眉唾というか、そんなに現在の我々は低級かねと言いたい気もするのだが、それは一旦置いておくとしよう。まずは何より blog から豊かなコンテンツ、議論が生まれるところを見ていこうじゃないかと思う。何度も書くように、そのコンテンツさえ良質であれば、それがどういう形式であれ僕は支持する。それだけは確かである。


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初出公開: 2002年11月10日、 最終更新日: 2002年11月18日
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