以前書いた「今更ながら宗教の話で何ですが」について、読者の方からメールで批評をいただいたので、当方からのリプライとともに公開することにした。
僕は「ウェブページ作成のポリシー」として、「当然ポジティブな反応が来れば嬉しいですが、批判、論駁の方をより歓迎します」と書いている。ポジティブな意見よりネガティブな意見を歓迎するというのは別に僕がマゾだから、というのではない。当然僕にも自己顕示欲や功利心があるから、自分の文章が誉められると嬉しい。これは実際にウェブページを持つまで分からなかったことなのだが、読者からの激励のメールは、読者として想像するよりずっと作成者の気分を高揚させてくれる。
だが片方の評価しか受け入れることができないのでは駄目だろう。僕は、文章自体を形にすることと同じくらい読者からのフィードバックによって自分を変えていく作業を欲している。つまりは読み手とのコミュニケーションである。
当方のメールの中でも出てくるが、コミュニケーションというのはそう愉快なものではない。単純に勝ち負けをつくものではないし、逆に単純に協調し合うためにあるものでもないからだ。
誰だって自分が正しいと思いたい。しかしそんな訳はないのだ。ならばいびつな形になろうと、コミュニケーションによって自分を変えていかなくてはならない。
当方がぐたぐた前置きを書かなくても、実際のやり取りを読んでいただければ、筋を通しているところも至らない部分も併せてその実践をみていただけると思う。
公開するのは、上野さんからの二通、当方のが二通の、計四通のメールである。上野さんからのメールにおける当方の表記を yomoyomo に統一したこと、署名部分を削除したこと、文中の固有名詞の誤記の訂正を除いては一切の改変を加えていない。
これも読んでいただければ分かることだが、当方のメールには結構誤記がある。上野さんの表現について難癖を付けながら自分はそれ以前の誤記をしているのに赤面を禁じ得ないのだが、臨場感が伝わればと思い修正はしなかった。
こういった骨のある批判を公開することで、当方の文章に対して活発にリアクションが来るようになるといいな、という気持ちがある。上野さんから批評はその一つの規範になっていると思う。ここまでしっかりと文章を読んでいただき、そして問題点を指摘してくれるなんて、文章を書く人間として本当に嬉しいことだ。
上野さんは一通目のメールでの表現を気にされていたが、罵倒メールをもらってウェブページ作るのを止めようか、と思った経験もありますから大丈夫です(笑)。
結果的には、上野さんの厳しい評価自体が先に来る形でよかったと思う。あれが中途半端に自分の体面を気にした遠慮がちな文章だったら、僕はその評価自体「信用」しなかったし、相手しようとも思わなかったかもしれない。二通目のメールで展開される整合感のある批判がそれを裏付けている。
いずれにしろメールの転載を許可して下さった上野さんに感謝したい。
何度も書くように、これをキッカケに当方の文章に物申す、という人が増えてくれたらな、と思う。また上野さんと僕のやりとりについての感想も歓迎します。ちゃんとした意見なら上野さんにも転送しますので。
以下にリンクを付けておくが、やはり議論のもととなった「今更ながら宗教の話で何ですが」は事前に読んでおいて下さい。これを読んでないと分からない部分がありますし。