local hour
ベンジャミン(以下ベ)と yomoyomo(以下Y)の与太話。2007年5月2日、居酒屋にて。
Y:折角、長崎でやってる対談ということで、伊藤一長の事件について触れないわけにはいかないんですが
ベ:しばらくそういうネタはなかったんだけど、その前は二年続けてそういうのがあったっけ[註1]
Y:お前そういうのネタを望んでんじゃないの? 殺人事件を楽しみにしてるとか
ベ:ネタの選択は君がやってるだろうが! こんなにも平和を愛する人間に対して失礼だな
Y:事件の日、君から電話があって
ベ:9.11のとき以来の電話なんだよね[註2]
Y:そうそう(笑)。今回の事件を最初聞いたときには、本島等の事件の記憶があったので、てっきりまた右翼に撃たれたのかと思って。何で伊藤一長が右翼に狙われるんだと疑問に思った
ベ:前回は(本島等の天皇の戦争責任に関する発言の)背景があって警察も警戒してたけど、それが解除された時にやられたんだよね。俺はあのニュースを高校から帰るバスのラジオで聞いたんだけど、「やっぱり…」という感じの声が車内のあちらこちらから聞こえてきた覚えがある。街宣活動や脅迫がずっとあったから
Y:昭和天皇の戦争責任については、ワタシは結論から言えばあると思うけど、本島があの時期(昭和63年の12月)に言うべきことかと不快に思っていた
ベ:市議会で共産党の質問に答えて言ったことだよな。天皇が危篤状態で亡くなる直前の発言だったからものすごい反響を呼んで、右翼からは銃撃され、反対側のそうした層からは祭り上げられる形になった
Y:元々彼は革新政治家でも何でもない
ベ:そうだったっけ? でも、あの事件の功罪と言うとアレだが、そんなに評価されてなかった彼が事件のおかげで次の市長選挙に勝った印象がある
Y:その辺が強かだったんだよ、本島は
ベ:そしてその次の選挙で伊藤一長が本島に勝って市長になった
Y:今回四選目だっけ?
ベ:対抗馬がいなかったんだよ、民主党も候補を出さないし。四選はしないというのがポリシーだったんだけどね。元々、本島の四選を阻止するために出たんだから
Y:でも、事件の時点で61歳だから、政治家としてはさほど高齢ではない
ベ:次は知事になってもおかしくなかった。被爆地の市長としての活動もやってたしね。ハーグ(の国際司法裁判所)でやった演説をお前が誉め称えていたじゃない
Y:長崎市の市長ということは、革新だろうが保守だろうが被爆地の首長としての役割を担わされるんだよ、十字架のように。その役割をちゃんとこなしたことを評価しただけ。欧米の人はホント核の威力について知らないんだから
ベ:馬鹿でかい爆弾ぐらいにしか考えてない。放射能の影響とか分かってない
Y:事件に話を戻すと、革新市長でも何でもない伊藤一長が何で右翼に狙われるのかと思ったら暴力団による犯行だった
ベ:速報のテロップが出た時、最初は軽く考えてたんだよね。脅迫のための狙撃というか、肩をかすめたぐらいかと
Y:致命的ではないと思ったんだな
ベ:そう、命まではとられる様なことは無いだろうって。政治家やってりゃヤクザに恨まれることもあるんだろうし、公共事業がらみとかでも。でも NHK のニュースが始まって、あ、ただごとではないと
Y:俺は仕事から帰ってずっと NHK 見てた。心肺停止って、それ死亡じゃねえの? みたいな
ベ:担架に載せる前の映像が出てね。ぴくりとも動かない……痛みでもがく素振りすらなかったから、かなり厳しいんじゃないかなって、家族で凍りついたよ
Y:反応がまったくなかったと
ベ:うん、なかった。しかし、民放はまったく番組を変更しなくてさ、(事件直後の)映像を持っていた NBC が放送したのは午後11時過ぎだぜ。地元の長崎でもさ、緊迫した NHK の裏番組全てが延々とバラエティ放送してたよ。市長の命よりキー局の縛りが強いのかって悲しくなった。あの日は NBC が午後8時に取材の約束をしてたから事件の1分後には偶然到着してて、事件後の諸々をカメラに収めてるんだよね。血まみれの映像は苦情が来たから翌日の夕方ぐらいから放送しなくなったけど。メディアの浅ましさというか……後で引っ込めるなら初めから出すなよ。遺族感情を思うとあれだが、出してもいいと俺は思う
Y:俺は YouTube で見た。俺も出してもいいと思うけど
ベ:YouTube にアップする件は別として、普段ああいうの隠してると余計に衝撃が強くなる。昔はあったじゃん。豊田商事の事件とかさ。ああいうのを隠すとかえって事件の凶暴さが消される気がしてならないんだよね
Y:報道陣の前でメッタ刺しだったからね。ただね、ああいうときメディアの人間は浮かれてるな、というのがすごく伝わるんだよ。報道ステーションが、容疑者から寄せられた手紙を「犯行予告」と紹介して、後から慌てて訂正したり
ベ:古館クンは浮かれてた。自分で「犯行予告」言ってたんだから
Y:本当にそれだけの内容だったかは俺に分からないんだけど、あれを伝えるメディアが「やった!」と喜んでるのが透けて見えるんだよ
ベ:あれ長崎県警だかからの任意提出要請を断ってんだよね
Y:自分たちが取材して得た秘匿情報でもあるまいし、何様だよ。僕が一番気持ち悪く思ったのは、本島の件があるから関連付けたくなるのは分かるんだけど、交通事故のトラブルや公共入札の件が早い段階から分かってたのに、飽くまで言論への暴力だとか反核運動を止めるなとか、朝日は社説でそういう風に事件を利用するなっての
ベ:それは俺も思った。事件の本質とは違った方向へとミスリードしたがる報道が出てくるだろうって。まぁ、伊藤一長という人は保守でありながら、そっち系の平和運動に熱心な、いわゆるプロ市民と呼ばれる方とも巧みに連携していたりと、非常にバランス感覚に優れた替えがたい逸材だった。彼亡き後の市長は難しいよ
Y:今回の事件では、地方行政をクリアにしていく過程で、暴力団な人たちが以前ほど仕事が入らなくなって、経済的に困窮しているのが明らかになったと言えるんだろうね
ベ:極道の世界でも格差社会なんだろ
Y:でも、そのたびに市長が撃たれちゃたまったもんじゃない。事件現場は長崎駅前としか言いようがない場所で……そういえば昨日駅前に行ったけど、花束とかなくなってたような
ベ:事務所はもう撤去したから。でも現場は交通量が九州でも有数のところなんだよね
Y:僕からすれば、まさに自分が生まれ育ったところなのよ。実家が近くだし
ベ:すごい数の人が事件を見てたわけ。岐阜で産廃がらみで村長が襲撃される事件があったし、長崎でも県会議員が暴力団員に自宅玄関前で木刀で殴られたとかさ。でも、今回は駅前という大勢の人がいる中での暗殺だよ。背後から心臓一発だから……
Y:二発撃たれたんだっけ?
ベ:倒れたところに後ろからさらに一発らしい
Y:ひどい。こんなに平和な街なのに、二代続けて市長が銃撃なんて……一日経ってから実感が湧いたというか、怒りと脅えを感じた。今も両親が住んでる街が銃で切り裂かれるなんて
ベ:しかもヤーサン同士の抗争じゃないしね、そこが怖いんだよ
Y:で、今回は特に市長選挙中だった。選挙がどうなるんだというのが大問題だったわけだけど。予想はしていたけど遺族から候補が出た。でも、俺は新聞サイトで元国会議員の倉成正和が出るというのを読んでたので、女婿が出たというのにアレっと思ったけど
ベ:あれは一長の後援会が悪いんだよ。まだお通夜も済んでない時点では、副市長やそうした有力候補も「出ます」とは言えないんだよね。「考えさせてください」と言っていた段階で身内から出したいと後援会が話を進めちゃった。久間章生が来る前に決めたかったんだろって穿ってみえた
Y:後援会が久間を嫌いなの?
ベ:いや、実際のところ久間は今の公職選挙法じゃ共産党が首長になるじゃないか! ぐらいのことらしくて、女婿がどうのこうというわけでもなかったらしいんだけどね。でも、反保守系西日本新聞記者である女婿が自民系の一長の後を継いでどういう市政をやるのかを見てみたい気もした。古い考えと言われるだろうけど、せめて通夜までは静かに済ませてほしかった。それが通夜の前にはもう市役所で立候補しましたと演説を始めちゃった。後援会の勇み足だったね
Y:僕は映像を見てないんだけど、出馬会見でえらくニヤニヤしてたんだって?
ベ:あれはさぁ、はにかんだぐらいだよ。会見場には元同僚とか後輩なんかがぞろぞろいたんだから
Y:ああ、そうか、記者連中を知ってるからということか。それが勝った気になってるととられちゃった。僕は市役所の人、田上(富久)さんが立候補したのを知らなくて、てっきり女婿になるのかと思ったたんで、結果を見て驚いた。結論から言うと、ワタシは民主主義の成熟を感じました
ベ:いや、あれ、長崎市民は感情で入れてるから。実質二日間の選挙活動で民主主義判断とか無理だろ。あの女婿は関西人で、今は東京に勤めていて、今回は休職で立候補してただろ? あれ告別式後に記者辞めてから出てればすんなり上がったの。笑ったのは NHK で「何ね、あの人は長崎の人じゃなかとね」って言った老婆のインタビュを見た時かな
Y:休職で立候補、という情報が広まってたのかは疑問だけど
ベ:だってニュースで、田上さんは公務員だから立候補と同時に失職、一方は新聞社を休職して……と流れるんだから
Y:田上さんが市長になったわけだけど……あの人、ホント小役人な顔をしてるな(笑)。でも、50になって、失職するのを覚悟で出馬を決断するなんてただの小役人じゃないんだろう
ベ:課長が市長か……でも彼は長崎さるく博を企画した人だからいろんなノウハウは持っているんだろう。政治は未知数だけど
Y:弔い合戦みたいな雰囲気になると出にくかったろうが、よく勝ったと思うよ。今の時点の話だけど、長崎人は正しい選択をした
ベ:正しいかどうかはまだわからんのだが、8月9日の平和宣言をまずは堂々とやってもらいたい、小役人顔でもね
Y:一方でトドメを刺したのは、敗戦後の伊藤一長の娘の「こんな仕打ちを受けるとは」という言葉。もちろん心労が重なってるときの発言だから大目にみないといけないんだけど、あれはひどかった。あれを見て、長崎市民は自分たちの選択は間違ってなかったと思ったでしょう
ベ:そうか? そこのところ、あんまり責める気はしないんだよね
Y:だって一長の支援者が全員女婿に入れれば間違いなく勝ったわけで、田上さんに入れた人の中にも情の面で後ろめたく思ってた人は多いだろう。でも、あの映像を見てそういう感情も消え去ったろう
ベ:まあ、議会の一議席ぐらいならまだ分かるんだけど。言い方が悪いけど、あれは小渕(恵三)の娘が、父が死んだから私を総理大臣にしてくださいと言うのと同じだからな
Y:市長、自治体の首長だからね
ベ:でもね、(一長の娘に)あれを言わせた後援会が悪いんだよ。当確後に「万歳は控えます」とした田上陣営に比べて、紅白の垂れ幕の前で娘にあれを言わせてしまった後援会の奴らは何やってんだ。今回の混乱、たった2発の銃弾が長崎そのものを殺してしまったように思えた
Y:僕はそういう風にはまったく思わない。「長崎そのもの」なんてセンチメンタリズムでしかない。しかし、選挙の得票差は千票未満だったわけで、一方で無効票はその十数倍。
ベ:こんな悲惨な事件が無ければその公職選挙法の不備には誰も気づかなかったんだよ。当選が間違いない有力候補が暗殺される事件が、もし投票の三日前までという期限の後に起きたらそれこそ大問題だ。代わりの補充候補も出れない
Y:選挙制度に不備があったのは確かだけど、どう変えればよいかはよく分からん。
ベ:事件翌日に俺が最初に思ったのはね、立候補している奴らは非常事態だからみんな立候補を取り下げろ。そしたら、もう一度時間的余裕と税金支出も最小で再度選挙が出来るじゃん、てね。それが長崎市民にとっても最良だと思った
Y:確かに選挙を一時停止する、もしくは無効と判断する条件が公職選挙法にあるのかすら少なくとも僕は知らない
ベ:今回それは叶わずに選挙は残り四日で進行したわけで、でも事件の次の日は市議選も選挙カー活動は、追悼自粛ということで長崎市内で一切無くなったんだよ。誰の名前も連呼されなかった二日間だった。統一地方選挙の投票三日前なのに実際には長崎は死んでたんだよ
Y:個人的にはあの選挙カーの名前連呼はなくなればよいと常々強く思ってるけど、今回のように暴力の結果でそうなったのでは嬉しくはない
ベ:そして選挙結果は千票未満の差。それだけこんがらっていたんだよ長崎市民は。だから正しい選択をしたとか、民主主義の成熟とかではないんだよ
[註2] ベンジャミンは電話嫌いのため、彼から電話がかかってくることは滅多にない。彼が電話をくれたとき、ワタシはそれに気付かなかったのだが、気付かないままその10分後に彼に同じ用件でメールを送信して、その偶然に後で笑ってしまった。
「9.11のとき以来」とベンジャミンが言っているのは、何か事件を受けて彼が電話するのは、という意味。あのときベンジャミンは興奮して電話をくれたのだが、ワタシは当時『Wiki Way』の翻訳のことで頭がいっぱいだったため、生返事しかできなかった。そのときベンジャミンは、ワタシが大きな仕事を抱えていることを言い当ててみせたので、大層驚いた覚えがある。