翻訳を巡ってだらだらと書いてみる(2)


 さて、今回は前回の続きである。

 カンの良い方ならお気づきだろうが、前回は僕が1999年に公開した翻訳について書いたもので、今回は2000年に公開した翻訳文書についてだらだら書かせてもらう。更に言えば、前回の文章で「三回シリーズになる予定」と書いたのは、次回に今年公開した翻訳文書について書いて一段落、という目論見なのだが、さてどうなることやら…

 今回は前回よりも、訳者の事情についての話が多い。つまり、情報源にはならず、話としてもあまり面白くないはずだ(笑)。

インターネットは検閲をダメージとうけとり、それを迂回する(Eric S. Raymond「DVDCA と大きな嘘」より)

 上に引用したのは ESR の文章ではなく、John Gilmore の言葉である。これはインターネット(のユーザ)と検閲の関係を、一部の回線が落ちても、経路情報を更新することでパケットを宛先まで届けるようにする、インターネットの自律性になぞらえている。

 今この文句を読み、真っ先に連想するのは、レッシグの「CODE」である。インターネットの自律性は、コードがインターネットのアーキテクチャを成立させる「法」の位置を占めていることにより保たれていて、フリーソフトウェア/オープンソースに関わる人間なら、そんなことは言葉にしなくても日々実感していることだ。しかし、僕などは、レッシグにはっきり書いてもらうまで、その力が「法律」「規範」「市場」と並ぶものであることに気付かずにいた。

 だが、既に2000年のはじめにその糸口となりうる文章を訳していたとは。ESR と レッシグは後に American Prospect を舞台に論争することになるのだが、上に引用した John Gilmore の言葉に続く、「同様に、インターネットは独占支配の試みを脅威とうけとり、それを打ち負かすべく戦時体制に入る」という文章を読むと、ESR にしても既にその議論に至る必然が見えていたのだろう。レッシグの議論を読んだ後では、この文章はいささかヒロイックにも思えるが、それはまた別の話だ。

 いずれにしろ、当時の訳者の認識は DVDCCA に対する批判に終始するレベルで止まっていたわけで、今になってみると情けなくも思うのだが、これが僕の限界なのだろう。

 あと余談であるが、件の John Gilmore の文章に、訳者ははじめ間違った訳をあてていた。それを訂正してくださったのは山根信二氏で、翻訳をすることで彼などの尊敬している人からメールをもらえ、訳文も改善するという翻訳冥利の実例なのだね、これは。

実際のところ、多くの(ひょっとしたら過半数?)商用に開発されるゲームのソースコードは本当にひどいものだ。(Shawn Hargreaves「オープンソース・ゲームをプレイする」より)

 僕が訳した文章の何割かは、プロジェクト杉田玄白に登録してある。しかし、登録数は多いものの、質的な面でプロジェクトに貢献する作品となると残念ながら少ない。訳者の贔屓目で見ても、「管理職のためのハッカー FAQ」「FUD とは何ぞや?」、そしてこの「オープンソース・ゲームをプレイする」の三つだけだろう。

 逆にいえば、僕はこの「オープンソース・ゲームをプレイする」を訳したことを誇りに思っている。ゲームという分野において、ESR が説くオープンソース化の利点が簡単に当てはまらないことを冷静に分析し、ゲーム作成用のインフラ部分をオープンソース化するところに活路を見出そうとする、派手さはないが地に足のついた結論を導いている。

 当方は、自分のサイトのアクセス解析をやってない代わりに、たまに検索サイトを利用して逆リンクチェックをやっている。ゲームソフトを作っている方がこの文章についてコメントしてくださっているのを見たときは、特に嬉しかった。どなたか忘れたが、この文章を読んで自分のソフトウェアをオープンソースにした、と書かれていた方もおられて、自分の訳した文章が何らかの力を持ち得たのか、とひどく感激したのを覚えている。

 そこまでいかなくても、僕が翻訳した文書についてコメントされているのを見るのは本当に嬉しいものである。恥ずかしい話であるが、落ち込んでいるときにそういったコメントをウェブ巡回中に見つけたりすると、手を合わせて泣きたくなるときもあるくらいだ。公開という形で一旦訳者の手を離れた後も、訳文のいくつかは時に僕を励ましてくれるのだ。

ゴキブリは人知れず繁殖する。クラッカーはコードの秘密主義につけこむ。(Eric S. Raymond「マイクロソフト -- 不安定に設計されて」より)

 この文章は、元々 LWN などのニュースサイトに投稿された文章で、基本的に時事性というか、即効的な意味合いが強いものであるが、ESR が優れているのは、そうした文章の中にも、波紋を広げたり、ばっちり決まった警句を織り込むところで、上に引用したものはその後者の一例である。やはり ESR はアジテーターとしても優秀だ。

僕は IP マスカレードを使いたいだけなんです! 助けて!(Rusty Russell「Linux 2.4 NAT HOWTO」より)

 甘いと言われても仕方ないのだが、オープンソース関係の文書を個人で自由に翻訳し、自由に公開することの意義に、僕は疑問を持ったことがなかった。だからこの HOWTO 文書をうちのサイトで公開した際に、武井伸光氏から「"完成しました公開してます" では, JF 的にも, 日本での Linux に関する日本語状況的にもあまりうれしくないと思う」と書かれた時は困惑してしまった。僕がこれまでやってきたのは、「完成しました公開してます」以外の何物でもないからだ。

 困惑の原因の一つは、「Linux 2.4 NAT HOWTO 翻訳と公開停止についての覚書」にも書いた通り、JF に入るのが LDP の文書やカーネル付属文書などの公式的なものだけと当方が勘違いしていたせいもある。しかし、それを差し引いても疑問は残った。山形浩生氏は既に JF に収録されている文書を改訳、もしくは一から翻訳しなおした文書をいくつか公開していたが、それについて JF に投げてくれという要求があったという話は聞いたことがない。これは即ち、山形浩生と当方の訳者としての力量の差、そして山形浩生のサイトと YAMDAS Project の知名度の差に拠るものだろう。

 それはその通りなのだが、(相手にそのつもりがなくても)自分が翻訳をやる意義を否定するようなことを書かれ、この時点で僕は武井伸光氏に対して気分を害していた。それを表明しても良かったが、これまで武井氏には当方の翻訳に関して多大な貢献をいただいているし、それだけに相手の良識を信頼したい気持ちがあった。実際僕にしても、JF という流通手段の利を理解しないほどバカではない。

 しかし、その後の武井氏とのメールのやり取りで、僕がぶち切れてしまった。それが上に書いてきたこととちょっと意味合いが違った内容であることもあるし、何より私信に属するものなのでここに公表はしない。メールを読んで憤激し、憤激しながら返信を書き、それを憤激しながら送信したというのが、この二年半ウェブページを運営していてそのとき一度きりである、とだけ書いておく。「覚書」の最後に「今この文書を書いている時点での感情は一旦すべてわきに置いて」とあるのは、本当に正直な気持ちだったのだ。

 後から振りかえってよかったな、と思うのはこの点、感情をすべてわきに置いて「覚書」を書き、とにかく JF に訳文を投げると宣言したところだ。これはソフトウェアを GPL 下に置くようなもので、もはや訳文を引き上げて駄々をこねるような手段はとれず、公開するしかないように自分を追いこんだわけだ。

 自分が感情を抑えられたのは、既にこれに複数の人の手が入っていたこともある(特に office さんには、共訳のクレジットにすることを提案したくらい修正をいただいた)。僕のわがままで他の人の作業を無駄にはできない。だがそうはいっても、かなり気が滅入ったのは事実である。どうしてこれだけ不愉快な想いをしながら作業を続けなければならないのか、とうんざりもした。明らかにこの一件はその後の僕の翻訳活動に悪影響を与えたと思う。しかし、それについて綿々と続けても泣き言にしかならないので書かない。

 僕は常々、翻訳する人間の感情はどうでもよく、問題はその翻訳が利用者の役に立つかどうかだ、と書いている。そうした意味で上のような話はどうでもよいことであるし、恐らく読者も読んで退屈しているだろう。それでも敢えて僕がこの話を書いたのは、やはりこれらすべてを感情のある人間がやっていることである、という当然の事実を再確認してほしいからだ。フリーソフトウェアや関連ドキュメントはひとりでに木になるわけではないのだ。

 OpenBSD サイトの日本語訳を自発的にやったのに、何故か日本の OpenBSD コミュニティの人から良い顔をされず、その後本家に統合されたはいいが、訳者クレジットを一切消されても平然としていられる山形浩生さんほど僕は鷹揚ではない(後記:ここの記述について、「優雅な生活の設計と実装」「某日記」で批判されてますのでコメントしておくと、「日本の OpenBSD コミュニティの人から良い顔をされず」というくだりは、確か山形さん自身が TOP ページ上に書かれていました(web.archive.orgに残ってました。「対応が実におそい」「なぜかぜんぜん喜んでくれない」と書いてます)。ただ、論旨と関係ない OpenBSD の話を引き合いに出したのはフェアではありませんし、「物書きの姿勢として無責任と言われても文句は言えまい」「その憂さを、まったく無関係な OpenBSD で晴らしちゃいかんわな」という謗りを受けても仕方のないことだと思います。関係者の皆様、大変申し訳ありませんでした。ただ「山形さんの翻訳を spoil するような事実」なんて僕だって書いてませんよ。spoil も何も彼は彼で訳文を公開していたわけですから。また「見返りがあって当然みたいな認識」とも思ってません。上の文章をどう読んだらそう言われるのか分かりません。第一僕は、勝手に訳して勝手に公開していただけですよ。何の見返りがあります?)。

ここでの唯一の答えは、いつもと同じ次の教訓ということになる。そう、使えると思う方を使えばいいのさ。(Monty Manley「GNOME の優位性」より)

 僕が訳してきた文章は、その文章が持つ意味合いでいくつかに分類されるだろうが、僕がそれを訳した事情というか動機でも分類されると思う。その詳しいところは次回(がもしあれば)にでも書くとして、この「GNOME の優位性」は時事的な意味合いが大きいもので、訳した当方もある種のレポーターのつもりで訳したものである。

 ここでの「時事的な意味合い」というのは、言うまでもなく GNOME Foundation の設立であるのだが、訳出から一年も経たないのに、GNOME を巡る状況の変化はめまぐるしかった。それは Gnome の作者である Miguel de Icaza が設立した Helix Code の社名が Ximian に変わったといった軽いところから、Ximian と並ぶ Gnome プロダクトの主要企業である Eazel の倒産というかなり深刻なものまでいろいろとある。

 こうした時の流れを目の当たりにすると、自分の訳した文章の寿命について考え込んでしまうのも確かである。それも前述の時事性を重視して訳したものは特に。

 冷静に考えるなら、そうしたものは、あと一年もすれば殆ど化石的な意味合いしかなくだろう。訳者である当方はそれを少々切なくも思うが、フリーソフトウェア/オープンソースを巡る状況だってどんどん変化しているのだから、それは当然のことである。

 そうした雑文翻訳者の感慨は別にして、オープンソースを巡る状況の変化が、それ自体の前進であってほしいという前進主義を標榜する一方で、単にフリーソフトウェア/オープンソースの動きを「Linux vs. Windows」の観点のみでとらえ、勝った負けたとカリカリしては本質を見誤ってしまう、とも思う。上に引用したような「多様性は善」という考えに基づく楽観性・柔軟性こそ、ハッカーのみならず、フリーソフトウェア・ユーザを支えてきたアティチュードなのだから。

僕としては、そうした問題について、あなたから貴重な意見をいただけるのを期待しておりました。僕が誤解してるのでなければ、LGPL はあなたがお書きになったのですよね?(Jorrit Tyberghein & Richard Stallman「プレステ2への移植に関する Richard Stallman との議論」より)

 この文章は、PlayStation2 で動作する Linux を公開してもらうための署名運動が起きたときにいろいろと引き合いに出された。それが PS2 Linuxkit という形になって実現したわけであるが、僕はこの展開を予測してなかったので、読みが完全に外れて驚いた。PS2 Linuxkit から何か目に見える成果が出てくるのはもう少し先の話だろうけど、とにかくこれは大きな一歩に違いない。

 それはともかく、この文章は、PS2Linux 関連以外でも、フリーソフトウェアの考え方を知るための参考文献としてリンクしてあるのをたまに見かける。が、それを見るたびに、当方は何か不思議な気分にもなる。

 いや、もちろんそういう読み方もできるだけの質は持っているとは思う。けれども、僕がこの文書を読んで何より印象に残るのは、飽くまで「フリーソフトウェア」という用語に固執し、不愉快なまでに難詰する RMS の偏屈さである。

 またそれに対して、どこまで自覚的かは知らないが、まったく挫ける様子を見せず「オープンソース」で押し通す Jorrit Tyberghein にも驚き呆れてしまうのだが、その二人によるメールのやり取りだからこそ、ここまで論点をつきつめたものになったのは間違いない。やはり、貴重には違いない、のだが…

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初出公開: 2001年08月06日、 最終更新日: 2004年07月25日
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