自分のサイトを始めた頃、ワタシは普遍的な文章を書きたいと思い、それを実践しようとした。つまり、例えば五年後に読み直しても価値を残しているような寿命の長い文章を書きたいと思っていたのだ。やがてそれが無理な相談であるのに気付くのだが、今でもどこかそのように願っているところがあるのは確かだ。
現実には自分の仕事が自分自身を裏切ってしまっている。五年前に書いた文章など恥ずかしくて読み直す気にもなれない。先日、調べ物のために過去の文章をまとめて読み直す機会があり、正直気が滅入ってしまった。
そしてその後で自分の過去の翻訳を読み直し、こちらの方は今でも読む価値があると思うものがいくつかあり、構造上仕方がないことは分かっていても、その差異に嫉妬心のようなものを感じた。また過去の翻訳を読んでいると、あのときはああいうことを考えていたなといろいろ思い出すところがあり、翻訳文書を回顧する文章を書いてみようと思った次第である。
以前、といっても四年前だが「翻訳を巡ってだらだらと書いてみる(1)、(2)、(3)」という文章を書いており、それに類するものと思っていただければよいが、今回はその翻訳の動機、裏事情について主に書こうと思う。ワタシの知的好奇心、もっといえば知的ミーハー心の軌跡が辿れるわけだが、もちろんこの文章を書く理由はそれだけではない。こうした文章を書き、過去の翻訳にスポットを当てると自分でも忘れてかけていた問題を思い出したり、また人目に晒すことで誤記・誤訳の指摘があり、コンテンツの質の向上につながるというのがある。
元々当方は、主にオープンソース関連の雑文を訳していた。当時何よりオープンソースを巡る状況が面白く感じられたし、その界隈の文章を訳すことで勉強もさせてもらった。しかし、この翻訳あたりを最後にしてオープンソースについての文章の翻訳は少なくなる(間接的にオープンソースソフトウェアに関わってはいる文章が多いわけだが)。
思えばこの文章を訳した頃から、その方面に以前のような面白みを感じなくなったというのがあると思う。誤解しないでいただきたいのだが、「面白みを感じなくなった」というのは翻訳者として見た場合の話であり、オープンソース自体に「面白みを感じなくなった」わけではない。むしろワタシ自身本業でもオープンソースを業務で利用するようになったわけで。
要はオープンソース自体、90年代末の一種のお祭り騒ぎ、バブル的状況から新しい展開に入ったということなのだと思う。そしてそれとともに、少なくとも雑文翻訳の分野ではワタシが関わる仕事が少なくなったということだろう。
なお、この文章に書かれる「8歳のガキのような振るまいでその可能性を宣伝すべきではない」を実践するための良質の資料としては、武藤健志さんによる質問への答え方がある。
訳した当時はまだ RFC ではなくインターネットドラフトだった。
これを訳した理由は一つ。2003年2月に開かれた Port139 のケーキオフ会に参加するためである。当方はセキュリティのコミュニティに足場がなく、現に何の実績もないに等しい。つまり、誰も当方のことなど知らないわけで、ただの与太者でないことを証明したかったのである。wakatono さんが IPsec の話をするということで、かなり急いでこれを訳した覚えがある。
IPsec については、後に(Linuxの)IPsecの困難という文章を書いたが、以降最新動向は追えていない。またセキュリティ界隈における認知も当時の自己認識とあまり変わっていないだろう。仕方ないことではあるが。
この頃、ようやく当方も RSS の意義というか、単なる更新アンテナの代替に留まらない可能性が見えてきたところだったと思う。
今この文章を読み直すと、ウェブサービス周りの話としては、「Web標準化の原石「XML」はどこへ向かう」あたりまでつながる話の流れをワタシが知る端緒になったこと、また現在では社長兼 COO の Jonathan Schwartz のブログがニュース種となるほどの Sun において、社員ブロガー(何じゃ、この表現は)が表に出てなかったことの歴史的証言としても興味深い。
ウェブサービス、RSS、そして Sun のブロッガーからつながる話題であり、以前から訳したかった Tim O'Reilly の文章である。これ幸いと飛びつかせてもらった。
当方が REST について興味を持ったのは、吉松史彰さんのWebの「正しい」アーキテクチャが契機だった。これについては sheepman さんがツッコミを入れており、問題もあったのだろうが、当然ながら現在のように REST 入門のような優れた日本語のリソースもなかったわけで、吉松さんの文章はありがたかったし、非常に刺激を受けたのを覚えている。
さて、この文章のポイントである「Amazon ウェブサービスの85%は REST インタフェース」という話を平田大治さんがブログで取り上げ、それが話題になったときは、半年以上前にワタシが訳した文章にある話なのに、やはりワタシのサイトなんか誰も知らないのだなと落ち込んだものだ。具体的には書かないが、当時あたりから少しは読者数を増やす努力を意識的にしている。
実を言うと、この頃 Wiki という言葉に飢えていた。といっても分かってもらえないと思うが、ブログが大変な話題になる一方で、着実に利用が広まっていたとはいえ Wiki という言葉に脚光が当たらないことを気に病んでいたのだ。実際はどうだったか今となっては思い出せないが、少なくとも当方は当時そのように感じていたのは確かである。
今これを読み直すと Wiki というよりオーディオ環境の話として興味深い。Web 2.0 のキーワードは Remix なようだが、果たしてその言葉の元ネタ(?)である音楽の分野は、ことそのデジタル環境における利用には DRM など制約が煩わしく絡まってくる。本文で語られるような気軽な Remix 環境は果たして実現するのだろうか。
これを訳したのは『ウェブログ・ハンドブック』刊行前で、その冒頭で引用されている Vannever Bush の論文「われわれが思考するごとく(As We May Think)」についての同趣旨の引用を見つけて心強く思ったのを覚えている。
先日、Slashdot の Sixty Years of Memex というストーリーを見て、ブッシュが Memex を構想して60年になるのに今更ながら気付いた。素晴らしい先見性としか言いようがない。
この文章を訳したのは、Stewart Brand と Brian Eno という二人に対する興味からである。
日本語訳も公開されて再び話題になっているスティーブ・ジョブスのスタンフォード大学での講演でも名前が登場する Whole Earth Catalog の仕事で知られる Stewart Brand の Long Now Foundation という取り組みは、聞いてみるといかにも彼らしい取り組みに思える。彼の意図については asahi.com に掲載されたインタビュー(上)、(中)、(下)に詳しい。
さて、一方 Brian Eno といえば、久方ぶりのボーカルアルバムである新譜『Another Day On Earth』に触れないわけにはいかない。
ワタシも今更『Here Comes The Warm Jets』のエキセントリシティーを期待はしないが、『Wrong Way Up』の明朗さを期待していたのは確かである。一曲目の "This" が正にそういう期待に応える曲で一気にボルテージが上がったのだが、その後は正直うーん、どうだろうというのが第一印象。
つまりは「電子民謡のアルバム」ということで、そのように気持ちをシフトさせると心地よいアルバムには違いない。が、それならハナからイーノの光沢のある「声」を期待しない Fripp & Eno の『The Equatorial Stars』のほうが素直に楽しめたというのも実際のところ。
でも、なんだかんだいって、イーノの「新譜」を何枚も楽しめるなんてありがたいことだよ。
この文章を訳したのは、密かにウェブログコミュニティの一部の論調が気に食わなかったためである。ブログが真の民主主義を実現するツールだとか馬鹿も休み休み言えよと。
Tim O'Reilly は Cass Sunstein の『インターネットは民主主義の敵か』を WWW にあてはめているが、ここに書かれる懸念は『ウェブログ・ハンドブック』でレベッカ・ブラッドが同じことがウェブログ・コミュニティにも当てはまると何度も強調していた話である。その訳者として、そうした当たり前の前提すらスルーされている現実と自分の力の欠如を腹立たしく思ったものである。
ちょうど少し前に Cass Sunstein が Lessig Blog のゲストブロガーを務めており、特に集団に知はあるのか?は面白かった。
実は当時ようやく Wikipedia に目を向け出したのだが、それとは別に、旅行者向けの情報 Wiki とは目の付け所がうまいと訳してみた。クリエイティブ・コモンズのライセンスを採用しているというのもポイントが高かった。
当時からすると、Wiki を巡る状況は地道だが着実に前に進んでいる。実際、「旅行者向けの情報 Wiki」というのが企業サイトにも取り入れられ、Wikitravel にしてもこの文章を訳した当時はなかった日本語版ができている(まさに「できている」というだけの状態だが)。